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2008年3月31日

弥生三十一日の歌

花冷えの雲の晴れ間の水色の空の青みの増してゆくなり


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年度末。明日から新年度を迎えるところが多いが、ここまで押し詰まるとかえって呑気なものである。

花冷えが続いていて、今朝も冷たい雨に震えたが、昼から晴れてくるとの天気予報通り、二時過ぎにはだんだん雲間から青い空がのぞき始めた。

それでも相変わらずの北風で、晴れた割には暖かさは戻らない。桜の咲く頃の天候は不順である。冬が終わって春が来たという安堵の思いが、時々戻ってくる寒さのためにぐらぐら揺さぶられる。

写真は千代田区内の昭和通りの交差点で写したもの。通りの上を首都高速が走っている。

ちょっと前まで使っていたデジカメの機種では、これほど広角で広い範囲を写すことはできなかった。自分で写してびっくりしている。

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2008年3月30日

弥生三十日の歌

満開の桜は青き空の下に眺めたきなり今日の花冷え


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昨日までの春の陽気が嘘のような花冷えである。桜が咲いてから急に冷え込むのは毎年のことだ。

ちょっと考えてみれば、サイクルとして、暖かさの波が来たときに桜が一斉に開花して、その次に寒さの波がやってくるだけのことだ。

桜の咲いている時期に急に冷え込むと、それだけで特別のことのように感じて、「花冷え」 なんていう言葉を作ってしまったわけだ。

ここまで書いて、何だか同じようなことを以前にも書いたような気がして探してみたら、昨年の四月二日に書いている。同じ頃に同じようなことを思っている。進歩がないのかしらん。

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2008年3月29日

弥生二十九日の歌

春色の満つる水面にひた揺るる白きを見つめ鷺は舞ふらむ


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我が家の裏手の小川の拡幅工事が終わり、フツーの川になってしばらく経った。土木機械やダンプカーが去って落ち着いたので、ようやく鳥たちが安心して遊びに来るようになったのはうれしいことである。

今朝、階段の踊り場から眺めると、白鷺が一羽、川を歩きながら餌をついばんでいる。鷺の脚の半分以上が水面から出ているので、川は見かけよりずいぶん浅いのだとわかる。

さっそく買ったばかりの新しいデジカメを出し、鷺に気付かれないように、さりげなく写す。さすがに光学七・一倍ズームの威力で、前の三倍ズームよりずっと接近した感じになる。

調子に乗って何枚か写していると、ようやく鷺の方も異変に気付いたらしく、さっと飛び上がった。鳥というのは、カメラで狙われているのに気付くと、どうも落ち着かないようだ。しかし、そこも逃さずパシャッと撮る。

 

前の機種だとシャッターを切ってから実際に写るまでのタイムラグが大きくて、動きのある被写体はまともに写せなかったが、この機種はその辺もかなり改善されていて、しっかりと写ったのが嬉しい。

 

白鷺はすぐに戻ってきて、また何気なく餌をあさり始めたが、もう驚かせないように撮影は終わりにしておいた。

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2008年3月28日

弥生二十八日の歌

日溜まりといふ名の池に肉厚の木蓮の白幾重にも浮く 


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取手駅西口ロータリーの木蓮が満開だ。つくば方面の桜は、まだ七分咲きだが、木蓮は見事な咲きっぷりである。

ロータリーにはペデストリアンデッキがあり、この満開の木蓮を上から見下ろすことができる。上から見ると、なるほど、「木の蓮」 と名付けた気持ちがわかる。

乱れ咲く木蓮は、幾重にも錯綜した水面に浮く蓮のようにも見える。

春になると、植物や動物が一斉に動き出すのが、なんだか晴れがましくさえ思える。

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2008年3月27日

弥生二十七日の歌

雑草といふ名の草のなきことを人の内なる神は言はしむ


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これまでさんざん使い倒してきたデジカメの調子が悪くなって、時々レンズが出てこなくなってしまったので、昨日新しい機種に買い換えた。

いつの間にか、ネジがところどころ抜け落ちていて、ボディが微妙にゆがみ、ところどころに隙間までできてしまっているので、とっくに寿命なのだろう。

新しい機種といっても、この三月に出たものの前、一個型落ちというやつだが、八百二十万画素で七・一倍光学ズーム、さらに広角も効くというスペックなので、お買い得と判断して買った。

画素のスペックだけでもこれまでの機種の二・五倍以上以上なので、腕前は変わらないが、これまでよりは少しだけいい写真が撮れると思う。というわけで、今日から写真のサイズをほんのちょっとだけ大きくすることにした。

もう少し大きくしてもいいところだが、そうすると 和歌ログのホームサイト トップページのデザインがごちゃごちゃになってしまうので、デザインを大幅変更しない限り、これが限度である。

せっかくの新しいカメラだが、撮ったのは道ばたの雑草である。だが、「雑草という名の草はない」 というのは、昭和天皇の名言である。人間宣言というものをされた天皇だが、この言葉を言わしめたのは、その内に宿る神だと思うのである。

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2008年3月26日

弥生二十六日の歌

新しきこととて何ぞ始むべき 蛙 (かはづ) の鳴きて桜咲く日に


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今朝目を覚ましたとたんに、我が家の裏を流れる川の土手で蛙が鳴くのを聞いた。多分、今年の初鳴きである。ようやく冬眠から醒めたものとみえる。

そして、取手の競輪場を通りかかると、桜がちらほら咲いている。蕾もほとんどほころびかけていて、全体がピンク色をして見える。

ついに、間違いなく春になったようだ。

こうなると、何か新しいことを始めてみたくなるが、具体的に考えると何を始めていいものやら、呆然としてしまう。

とりあえず、春は眠い季節なのだ。

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弥生二十五日の歌

目指し行く霧の彼方の見えぬもの目には見えねど確かなるもの


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昨日の夜に帰宅する頃からずいぶん濃い霧が出始めていたが、今朝目覚めてみると、辺り一面完全に霧の海である。

視界はところによっては五十メートル足らずだ。車のライトを点けて、そろりそろりと進む。

写真は小貝川の様子。ぽつんと見えるのは岸につながれた小舟である。対岸は完全に霧の彼方だ。

ふと気付くと、私は霧の中を行くのが案外好きなのだとわかる。余計なものが見えないというのがいい。見えなくても、進んでいけばたどり着く。この感覚がいい。

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2008年3月24日

弥生二十四日の歌

液晶の光溢るるこの街の雨の香りを運び去る風 


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先週の前半までは、もうすっかり春の陽気になったと思っていたが、急に冷え込んでしまい、今日も夕方までは冷たい雨が降った。

日が沈む頃になって雨はすっかり上がったので、明日はいい天気になるだろう。

仕事の帰りに秋葉原のヨドバシカメラに寄って買い物をした。写真は JR 秋葉原駅のホームから移したものである。

近頃の秋葉原は、大きなインテリジェントビルが建ち並んで、すっかり様変わりだ。高校生ぐらいの女の子たちが、「秋葉原に行きたいね」 なんて話している。メイドカフェに行ってみたいんだそうだ。

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2008年3月23日

弥生二十三日の歌

脳内で作り込まれしイメージを常に裏切る写真てふもの


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土日も仕事で、日が暮れてから帰ってきた。写真を撮る暇なんてなかったから、帰りの車の中でカメラを取り出し、信号待ちの間にちょっとした景色を撮る。

スーパーマーケットの駐車場は、もうがらんとしている。広い敷地越しに、街の灯りが望まれる。写真に撮ると、まるでおもちゃみたいな色合いだ。

肉眼でみる景色と写真の景色では、イメージがずいぶん違うことがある。肉眼の方が正しいのかと思っていたら、そうでもないらしい。

肉眼で見る景色というのは、脳内でずいぶん修正されているらしいのだ。写真の方が、余計な解釈のない素直な景色なのかもしれない。

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2008年3月22日

弥生二十二日の歌

枯れ草の色のみなりし我が庭に色浮かびくる春ぞ嬉しき


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三日間、春の嵐で寒さも戻っていたが、今日はぽかぽかと春らしい陽気だ。庭に出ると、これまで枯れ草色ばかりだった地面に様々な色が浮かんでいるのがわかる。 

紫の小さな可憐な花は、イヌフグリなんていう名前を付けられて、気の毒なことである。

花の色はまだ紫系ばかりだが、若草色のどんどん増えているのがうれしい。ただ、このまま増えていくと、今度は草刈りで大変なことになるのだが。

考えてみれば、このつくばの地に越してきて三十年。夏の草刈りの回数は、もう百五十回を超えているだろう。もう心と体に馴染んでしまった。

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2008年3月21日

弥生二十一日の歌

両岸のビルに護られ神田川春の嵐を知らず漂ふ


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一昨日から急に冷え込んできて、お彼岸は暖房をつけっぱなしで過ごしたが、今朝になってもまだ寒い。先週末頃、天気予報で 「そろそろ冬物をしまう準備をしてもいい頃」 なんて言っていたが、これはちょっとフライング気味だったようだ。

朝の交通情報では、総武本線の千葉から先や成田線などは、強風のために運休になっていた。春の嵐というやつだ。

この分では常磐線快速電車も遅れが出るかもしれないと覚悟していたが、それはどうやら回避できた。

東京はお昼近くになってだんだんと日が差し始めた。ようやく春の陽気が戻ってきそうである。どうも、彼岸を越さないと本当の春にはならないようだ。

 

 

 

 

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2008年3月20日

弥生二十日の歌

彼岸とも思へぬ今日の雨風を受けてぞ梅の色映るらむ


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雨の彼岸である。昨日からの雨が降り続いていて、この雨は明日まで続くという。さらに風も冷たく強い。

夜が明けても日が射さず、冷たい北風が強まるばかりなので、気温はどんどん下がるばかりである。

毎年思うのだが、「暑さ寒さも彼岸まで」 というのは嘘っぱちで、春の彼岸は寒く、秋の彼岸は暑い。とくに春の彼岸前後は、急に寒くなることが多い。

ようやく咲いた我が家の梅も、寒さ冷たい雨に濡れている。ただ、遅咲きが幸いして、咲いたばかりなので、いくら風が強くてもしっかりとしがみついていてくれて、全然散らない。

週末からは再び暖かくなるらしい。その頃、我が家の梅は満開だろう。

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2008年3月19日

弥生十九日の歌

彼岸とは寒さの戻るものにして明くれば春の風ぞそよ吹く


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「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」 という正岡子規の句があるが、今年の彼岸の入りは妙に暖かかった。

このまま暖かくなってしまうのかと思っていたところ、やはり、春の彼岸は寒くなる。今朝は冷たい風に驚いた。

天気予報も昨日とは変わってしまって、夕方から雨が降り始めると言っていたが、夕方の前にはもう降り出してきた。

このまま、明日は冷たい雨の春分の日となりそうだ。彼岸の入りではなく、彼岸の中日が寒いということになる。久しぶりに世間並みに休める休日になりそうだが、考えてみれば、早めに仕上げておかないと大変なことになりそうな原稿がある。結局のところは、休みでも休めないということになりそうだ。

写真は、信号待ちの時に撮ったもの。運転しながらではないので、ご安心を。

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2008年3月18日

弥生十八日の歌

蒲公英の咲くに気付きし昼下がり白き綿毛は早飛びゐたり


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今日は細々した用事がたまってしまったので、役所、銀行、その他いろいろ車で廻り、一挙に片づけてしまおうとしている。で、三時のお茶に、スタバに寄って休憩だ。

スタバといっても、郊外のショッピングセンターにある店舗なので、ふとみれば入り口のそばにタンポポが咲いている。しかも、白い綿毛になっているものまである。

このところ忙しさに紛れて、自然の変化に気付かなかったが、春はどんどん進んでいるのだなあ。

タンポポというのは見た目はかわいいけれど、放っておくと家の周り中はびこってしまうので、そのあたりはなかなかやっかいな花である。

ちなみに、今年は杉花粉の飛散する量が半端ではないらしく、近頃はほとんど治ったと思っていた花粉症が再発したので、医者によって薬を処方してもらった。ぐしゅぐしゅ。

昨年の夏のあの暑さが、今年の杉花粉を猛烈に増やしているらしい。今年は普通の夏であってほしい。

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2008年3月17日

弥生十七日の歌

数多き蕾の中のいくつかを先に咲かせて我を呼ぶ梅


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さしも遅咲きの我が家の庭の梅も、昨日の暖かさに反応してか、ついに咲き始めた。

もしかしたら一昨日のうちに咲き始めたのかもしれないが、なにしろパソコンが壊れて新しいのを設定するのにおおわらわで、いつ咲き始めたのかは全然わからない。

今朝見たら、確かに咲いているということでしかなく、まったくの無風流である。

今年は蕾の数がとても多い。あと何日かしたら満開になって、さぞかし綺麗だろう。ただ、明るいうちに自宅にいられるかどうかが問題だ。暗くなってしまうと、写真が撮れない。

 

 

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2008年3月16日

弥生十六日の歌

ひむがしの日をぐいぐいと押し上ぐる春の力の波ぞ満ち来る


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桜が咲き終わった頃を思わせるような、妙に暖かい一日だった。

朝、太陽が昇り始めた頃に、車で家を出る。私には週末だの日曜は関係ない。家を出る頃には、日は顔を出していたが、途中の林に囲まれた路になると、一転して夜明け前になる。

その路を通り抜けると、再び日の出の姿が見られた。少しだけ車を停めてデジカメのシャッターを押していると、見る間にぐんぐん昇ってくる。冬の太陽とは違い、昇り方に力がある。

ふと気付けば、今週の木曜日はもう春のお彼岸じゃないか。

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2008年3月15日

弥生十五日の歌

雪残る比叡の山に詣づれば仏耶諸聖も我を悦ぶ


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今日はすべてスムーズに進んだ。やはり、昨日までのゴタゴタは、比叡山に詣でるにあたっての厄落としだったのだということにする。

朝一番に、米原から琵琶湖の対岸、坂本に移動。そこからケーブルカーで比叡山に登る。乗り継ぎは極めてスムーズ。

ノート PC が壊れたので、帰りに秋葉原に寄って新品を買わなければならない事情があり、比叡山には昼までしかいられず、大急ぎの参拝だったが、それでも、東塔と西塔は廻ることができた。横川まで行けなかったのが残念だが、また来るときの楽しみにしておこう。

写真は、西塔の釈迦堂への長い石段を降りつつ写したもの。途中の山道はまだ雪が残っていて、なかなかのものだった。

阿弥陀堂で、阿弥陀如来像と向き合って座り、しばらくゆったりとしていたかったが、五分ぐらいしかそうしていられなかったのが残念。また今度ゆっくり来たいところだが、次は高野山に行きたいので、いつになるかわからない。

帰りの乗り継ぎも、よく調べたわけでもないのに、理想的にスムーズに進み、夕方六時に秋葉原のヨドバシカメラに駆け込み、首尾良く新しいレッツ・ノートを買うことができた。

さあ、これから設定が大変だ。

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弥生十四日の歌

雨止まず特急遅れうらぶれしホテルに泊まる厄落としなり


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【お断り】 ノート PC がおシャカになって、出張先に持って行けなかったため、一日遅れで更新しています。

【本文】

この日はなかなか大変な一日だった。福井に出張したのだが、米原で特急しらさぎに乗り換え、特急停車駅にすると一駅手前の鯖江で、急に動かなくなった。

社内アナウンスによると、北鯖江の先で人身事故があり、当分動けそうにないという。急遽先方に電話をかけて、車で迎えに来てもらう。その間、退屈だから鯖江駅近くの白山神社に参拝。写真はその鳥居である。

私は基本的に晴れ男で、出張先で雨降りになることはほとんどないのだが、この日だけは一日雨降り。本当に本当に珍しいことであった。

ぎりぎりで仕事を終えて、夜になって米原まで戻る。この時も踏切の故障が発生して、三十分近く遅れる。駅近くの某ホテルに宿泊。

私はホテルは基本的に気分良く眠ることさえできればいいという考えで、あまり贅沢な要求はしないのだが、このホテルの部屋のたばこ臭さにはかなり参った。

それから、このホテルの部屋のカーペットは、なんとなく締めっぽくてベトベト感があり、裸足ではいられない。しかたなく、スリッパを履いたが、このスリッパも、あんまりきれいそうじゃない。

ベッドだけは快適で、ぐっすり眠れたのはありがたいが、次に米原で宿泊するときは、別のホテルを選ぼうと思う。

この日は、きっと何かの厄落としの一日だったんだと思うことにする。パソコンが壊れた厄も、これで落ちたかもしれない。

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2008年3月13日

弥生十三日の歌

神宮の杜を見下ろすビルにゐて半日かけて都市の仕事す


 

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今日はちょっとした都合で、青山にあるコ洒落たオフィスで、半日仕事した。

窓の外には、神宮外苑の杜とビルが見える。なかなかの環境である。毎日こんなオフィスで仕事をしたら、とてもスマートなビジネスマンになってしまうかもしれない。

とても暖かな春らしい陽気で、大きな窓からさんさんと春の日が入ってくる。確定申告を書き終えてほっとしたので、眠くなる。ああ、いかんいかん。

明日からはまた出張で、早朝に出発だ。今日は早めに帰って準備して寝よう。

【業務連絡】

モバイル PC が壊れてしまったので、旅先での更新は無理のようです。土曜日に帰宅してから、二日分の更新をします。

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2008年3月12日

弥生十二日の歌

ふきのとうの我に気付けと呼びかくる声の聞こゆる心地こそすれ


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いよいよ本当の春である。朝、ベッドから抜け出すのに一大決心をしなくても済むだけでありがたい。

我が家の敷地の外側に、ちょっとした空き地がある。これは、宅地の造成にあたっては、全体の面積の一定の比率を空き地として、公園などにしなければならないという規定によって、放ってある地面であるらしい。

大規模に造成された宅地だと、それなりの立派な公園が作られているのだが、我が家の場合はたった四軒の規模での売り出しだったので、ほんのちょっとした空き地である。放っておくと雑草だらけになるので、手入れが大変なだけである。

この空き地の我が家のフェンス沿いに、ふきのとうが毎年顔を出す。気づかずにいるといつの間にか間抜けなほど大きくなってしまって、ふきのとうとも思えない姿になるのだが、このくらいの大きさのうちに気付くと、かわいらしい。

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2008年3月11日

弥生十一日の歌

朝霧の未だ晴れざる対岸の日の気配のみいや昇り行く


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昨夜遅く帰宅した頃から、つくば周辺は濃い霧に包まれていて、それは夜が明けてからもしばらく晴れなかった。

この写真は朝八時頃に、我が家の裏の川を写したもの。普段は対岸の景色がきれいに見渡せるのだが、今朝は対岸を見るのがやっとだ。

しかし、朝霧はお天気の前触れという相場通り、九時を過ぎた頃からどんどん霧が晴れ、気温も上がり始めた。

今日は、一日がかりで確定申告の書類を作る日ということにしてあるため、何も予定を入れていない。というわけで、いくら天気が良くても、部屋にこもりきりである。

庭の梅の木を見ると、蕾はかなり膨らんできているものの、まだ一輪も咲いていない。相変わらず、我が家の梅は遅咲きである。

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2008年3月10日

弥生十日の歌

前線はいづこに向かふものとても牢獄なりと知るぞはかなき


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今日、三月十日は、ジャパン・ファッション・ウィークというイベントの幕開けの日で、私は柄にもなく六本木の東京ミッドタウンなんていうところに来ている。

こう見えても、アパレル業界でメシを食っているので、たまにはこういうファッショナブルなイベントに顔を出したりもするのだ。

とはいえ、若い頃には東京コレクションの記事を書いたりもしていたのだが、年をとるにしたがって、ファッションにはお腹一杯感を覚えてしまって、あまりワクワクしなくなってしまった。

前線という名の牢獄にい続けるのは、とても疲れることである

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2008年3月 9日

弥生九日の歌

白梅の香りを偕に楽しむは園を訪ぬる人のみならず


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早朝の偕楽園に、梅を見に言ってきた。満開にはまだ少し早いが、紅梅はかなり咲きそろい、白梅も三分から五分咲きで、それなりに楽しめた。

毎年この季節に、早朝の観梅をしている。朝の七時頃だと、まだ人の洪水という様相にもならず、ビールとと焼きそばソースの臭いが漂うこともないので、梅のさわやかな香りが楽しめる。

とはいえ、今日は天気も良かったせいか、かなり人の出が早かった。静かに梅を楽しむには、平日の早朝でなければならないかもしれない。

偕楽園の梅の本当の見頃は、今週半ばごろだろう。この写真でも、まだ硬い蕾がたくさん映っているのがわかると思う。これらの蕾が、今週の暖かい陽気で一斉に咲くと思われる。

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2008年3月 8日

弥生八日の歌

ひむがしの日を柔らかに包みつつ霞みたなびく春は曙


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我が家の裏を流れる川の拡幅工事はすっかり終わったようで、階段の踊り場から眺める景色が様変わりしてしまった。

前は 「裏の小川」 と言っていたが、これからは 「裏のフツーの川」 と言わなければならない。見た目はすっきりしたが、おもむきというものはなくなった。

まあ、これから何年かかけて、この土地の風土を取り入れ、「フツーの川」 から 「この土地の川らしい川」 に変わっていくのだろう。

朝から雲一つない快晴。しかし、低いところは白くもやがかかって、いかにも春の空である。明日は水戸の偕楽園に観梅に出かける。見頃には少し早いようだが、楽しみだ。

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2008年3月 7日

弥生七日の歌

雛壇の雛と同じき視線にて世を眺めゐる故郷の子ら


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最近首都圏の駅構内に、「庄内ひな街道」 の観光宣伝ポスターが出ている。

庄内はひな祭りの盛んな土地柄で、この時期、多くの商店や公民館などで、先祖伝来のお宝的なひな人形を飾り、公開している。そうしたひな飾りをはしごして眺め歩くのは、なかなか壮観だ。

で、首都圏の人は、なんで三月三日のひな祭りが終わったのに、こんな宣伝をしているのかと不思議がったりするが、庄内のひな祭りは月遅れなのである。四月三日が本番なので、それに向けて飾りつけが行われているのだ。

なにしろ、三月三日のひな祭りだと、下手すると地吹雪の真っ最中にやらなければならない。新暦というのは、伝統行事には不都合なのである。

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2008年3月 6日

弥生六日の歌

丘の木の黒々と浮く残照の空に消え行く白雲の影 


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日が暮れてかなり経ってから、取手駅近くに借りている駐車場に戻った。そこはすり鉢の底のような地形で、周りを見上げることになる。

空を見上げると、沈んだ日から発する光が、まだ上空を照らしているのがわかる。日の出直前に空が白々と明けてくる曙と同じで、日が沈んだ後も、このような空になる。

まるで影絵芝居を見ているような風景だ。とくに木のシルエットがいい。

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2008年3月 5日

弥生五日の歌

この街に風の道ありその道の只中に立つ旗の幸ひ


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朝の天気予報で、今日は冬の寒さに戻るというようなことを言っていたが、それほどでもない。さすが啓蟄の日である。

最高気温は一桁の九度と予想されているが、日向にいればむしろ暖かい。ただ、風の通り道にあたる道路では、冷たい風が吹いている。

この写真でも、煙草の自動販売機の前に立ててある 「お弁当」 の旗が、千切れんばかりにはためいている。ところが、この手前の道を曲がったところのクリーニング店の前の旗は、だらりと垂れ下がったままだ。

街というところには、目には見えないが複雑に入り組んだいろいろの道があるらしい。

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2008年3月 4日

弥生四日の歌

かの国の黄色の砂は春風の手より漏れ落ち巷にぞ降る


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写真は都心の某ホテルのエントランス。このホテルで、中国税関が、いかに知的財産権の保護に注力しているかをアピールするシンポジウムが開かれた。

水際で年に何百件、何千件という模造品が国外に流れ出るのを防いでいるという。確かにがんばっているのだろう。

しかし、がんばって成果を挙げれば挙げるほど、この国で製造されるコピー商品の多さを物語ることになるので、皮肉な気がしてしまう。

昨日は関東地方でも黄砂が観測されたという。関東は山に囲まれているからまだましだが、ほかの地域では車のウィンドウが砂だらけになるらしい。

 

 

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2008年3月 3日

弥生三日の歌

ありたけの街のネオンを曲面のガラスに映し車は走る


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日が長くなってきた。夕方五時過ぎの街を歩いても、まだ明るい。

明るいとはいえ、ネオンは灯り始める。道端に駐車した車のガラスに、そのネオンが映っている。ウィンドウのガラスは曲面なので、広い範囲のネオンが映りこむ。カメラのレンズよりずっと広角なので、こちらの方を撮ってしまった。

暖かくなるとともに、スギ花粉の飛散も本格化してきたようで、街は白いマスクをした人であふれている。

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2008年3月 2日

弥生二日の歌

自動車の窓開け放ち頬に受くる風のそれほど冷たくもなし

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今日も明るいうちに写真を撮っている暇がなかったので、日が暮れてからの写真である。帰宅途中のつくば市内で撮ったもの。

日が暮れて車を走らせながら窓を開けても、風がそれほど冷たく感じられない季節になった。さすがに三月の声を聞くと違うものである。

今週の水曜日、五日は二十四節気の啓蟄。冬眠していた虫が穴からはい出て動き始める日ということになっている。

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2008年3月 1日

弥生一日の歌

春の夜の首都高速の渋滞に東京タワーの光は浮かぶ


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今日は都内に住む長女の引越しを手伝った。一人暮らしなのであっさりと済むかと思っていたが、トラックを借りずに我が家の小さな車を使ったので、何往復かして、夜までかかってしまった。

高速道路から東京タワーが見えた。運転しながら片手でさっと写したので、かなりいい加減な写真だが、今日はこれ一枚しか撮っていないので勘弁してもらおう。

途中のファミレスで夕食をとり、帰宅したら十一時を過ぎている。なんとか今日中の更新に間に合った。

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