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2008年4月30日

卯月三十日の歌

晩春の日陰に咲ける胡蝶花の妖しきまでの色に惑ひき


今日は今年初めて 「暑い!」 と思った。取手駅近くに借りている駐車場から駅まで歩く間に、かなり汗をかいた。

ところが、電車に乗ったとたんに、今度はすさまじい冷房の風に見舞われ、汗が乾く前に冷えてしまってぞくぞくした。若い女性たちが、こんなに暑いのにスプリングコートを着ているわけがわかった。あれは、電車の冷房対策でもあったのか。

駐車場の近くに、シャガの花が咲いている。漢字では 「著莪」 と書くらしいが、いずれ当て字かもしれない。別名を 「胡蝶花」 ともいう。

離れてみると、単に小さな白い花だが、近づいてみると、かなり妖艶なところのある花である。なるほど、「胡蝶花」 の別名にふさわしい。私はこの花がかなり気に入っている。

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2008年4月29日

卯月二十九日の歌

ひたすらに揚雲雀鳴く昭和の日この青空に悪しきもの見ず


昨年のこの日の日記にも書いているが、とにかく 四月二十九日という日はよく晴れる。十一月三日もそうだが。

平成十七年の十二月にこの和歌ログを初めて以来、昭和の日 (一昨年までは 「みどりの日」) と文化の日 (昔の 「明治節」) は今日を含めて八回だが、写真をみればすべて上天気である。

私もかなりの晴れ男だが、昭和天皇と明治天皇の足元にも及ばない。

平成の御代になって、もう二十年である。昭和は二昔も前のことになってしまった。私は六十四年間あった昭和の後ろの方の半分以上を生きて、まあ、記憶にあるのはちょうど半分ぐらいのものだ。肝心の戦争の時代は知らない。知らなくて幸いである。

写真はローアングルで土手を写したもの。向こうの青空では、揚雲雀が盛んに鳴いている。

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2008年4月28日

卯月二十八日の歌

自らの誰も渡らぬ影のみを道に刻みて歩道橋悲し


今日もまた、朝方は涼しかったものの、昼頃には初夏を思わせるような陽気になった。

所用で水戸方面に車で出かける。エアコンをつけるほどではないが、暖房を切って外気を入れてちょうどいいぐらいの、つまりとても気持ちのいい日だった。

国道六号線の信号待ちで停車していると、横断歩道橋の影が、アスファルトの上にくっきりと刻まれている。太陽の光が夏に近付きつつある。

それにしても、田舎道の歩道橋ほど悲しいものはない。誰も渡る人がない。本当に、誰も渡らないのである。多分、この歩道橋一本に一千万円以上かけて作ったのだろうに、これほど利用されない設備というものもない。

誰も渡らない歩道橋は、アスファルトに影を落とすしか役割がない。

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2008年4月27日

卯月二十七日の歌

写真には写し尽くせぬ紋白の羽根の影こそ歌に映さめ


朝のうちから昼前までははっきりしない天気だったが、昼頃からどんどん晴れてきて、暖かい春の陽気になった。

昼まで仕事で某所に訪問していたが、昼過ぎは解放され、ちょっと土手を散歩してから、たまった原稿を書こうとパソコンに向かうと、気付いてみたら眠りこけていた。

このところ寝不足が続いていたので、思い切ってベッドに横になったら、三時間近く眠ってしまった。おかげで少し体が蘇った。

原稿をこなさなければならないのは変わらないが、少しははかどりそうだ。

写真は、昼過ぎの散歩で撮ったモンシロチョウ。新しいデジカメは七・一倍ズームなので、小さな蝶でもかなり大きくねらえるが、明度の高い被写体がベッタリ写ってしまうような気がする。もう少しエッジの立った画像が欲しい。

しかしこんなことを考え始めると、値段の高い一眼レフの世界に引きずり込まれそうだから、気を付けよう。私はここではへぼなネット歌人であって、フォトグラファーじゃないということにしておきたい。

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2008年4月26日

卯月二十六日の歌

ひむがしの冷たき風に立つ波と偕に揺れゐる岸の菜の花


朝から肌寒い。東よりの風がけっこう強く吹いていて、川面に波が立っている。東からの風で寒く感じるというのは、春も深まった証拠だろう。

川のこちら側の土手は、菜の花がどんどん花の色を増している。反対側の土手が、拡幅工事でまったく新しい土手になり、つまらない芝生に覆われてしまったので、去年の春まで目を楽しませてくれた菜の花が消えてしまった。

その分、こちら側の土手ががんばって花を咲かせてくれているような気がする。

ただ、菜の花というのはかなり臭いがきつく、それもあまりいい臭いじゃない。今日の東よりの風にのって、我が家の方向にもろにこの臭いが吹き寄せてくる。

洗濯物をあまり長時間干し続けていると、この臭いがついて、シャツを着て体温で暖まると、妙に生臭い臭いが昇ってきたりする。というわけで、今日はそそくさと洗濯物をしまった。

写真の背景は、風を受けて波立つ川面である。

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2008年4月25日

卯月二十五日の歌

咲き誇る白き躑躅に差す紅の女学生なりし日に戻る君


天気は思いの外早く回復して、昼前には春らしい日差しになった。昨日も書いたとおり、今日は妻は銀座辺りで女子校時代の親友と会っている。

妻は家を出る頃には、すっかり女学生気分である。女子高生ではなく、女学生である。

仙台というところは、高校は男女共学ではないので、なんだかちょっと独特のところがある。そういえば、茨城県もそんなところがあるのかな。よくわからないが。

まあ、せっかくの女学生気分だから、今日の晴天は何よりである。舗道の植え込みのツツジは、日陰でもかなり咲きそろってきた。

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2008年4月24日

卯月二十四日の歌

春雨の止めば都会の空を行く雲黒けれど重きにあらず


昨日までの東京の天気予報では、今日は一日雨が降り続くことになっていたのだが、明けてみると、ややいい方に修正されていて、「雨時々曇り」 になっている。

そして実際には 「曇り時々雨」 という感じだ。この分だと、降ってもほんの小雨程度だろうから、傘は持ち歩かなくてもよさそうだ。

さらに明日も雨が降るはずだったのだが、今日になって 「曇りのち晴れ」 に変わっている。

妻が明日、四~五年ぶりに高校時代の友達と会う予定になっていて、「せっかく久しぶりに会うんだから、晴れてくれてありがたいわ」 と喜んでいる。我々夫婦は、晴れ男に晴れ女である。

妻の出身地、仙台は、高校が男女別学だった (今はどうか知らない) ので、昔の女学校ノリである。昨年死んだ母の女学校時代の友達と会うときが、そんな感じだった。いつまで経っても女学生なのである。

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2008年4月23日

卯月二十三日の歌

通勤の電車を揺らし去る風は特急といふつれなき時空


昨日の昼過ぎ、東京都内の関係先からの電話を受けたら、先方は 「お暑うございます」 なんて言っていた。

ちょっと大げさかもしれないが、そういえば彼のオフィスは南向きの窓が大きくとってあって、日当たりが最高だ。外出先から急いで戻ってきたりしたら、なかなか汗が引かないだろう。

ちょっと前まで、「春はまだか」 と言っていたのに、そろそろ 「お暑うございます」 の季節が近づいてきた。連休が明ける頃は立夏である。

朝、取手駅から東京都内に向かう時、水戸方面からの特急電車が通過してすぐに快速電車が出発するというタイミングに行き会うことが多い。

風を切り裂いてあっという間に行きすぎる特急に乗っている人と、それからのんびりスタートする快速に乗る私とは、別次元の時空にいる。

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卯月二十二日の歌

久方の天の日影に心こそ浮き立つものなれ竹の秋とは


朝から日が射す天気というのは、東京では一週間ぶりらしい。そういえば、このところずっと曇りと雨の連続だった。

昨日は降らないと思っていたが、取手駅から車で帰る時にちらっとウィンドウに雨がかかった。二、三滴でも降らせずには、一日を終わらせまいとするかのようだった。

で、一転しての快晴である。いい気分である。

駐車場から取手駅に向かう途中に、斜面の竹林がある。久しぶりに竹のすっきりした影が地面に映っている。

竹はこれからが葉の生え替わりである。少しずつ紅葉と錯覚するような色の変わり方をしている。「竹の秋」 は晩春の季語で、「竹秋」 は旧暦三月の異名でもあるそうだ。

今日は旧暦だと三月十七日だから、まさに竹の秋のまっただ中である。

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2008年4月21日

卯月二十一日の歌

心地良き張り残りたる脚で辿る京の桜と江戸の躑躅を


三日東京都内に来ないうちに、神田周辺の道路の植え込みのツツジが花盛りになっている。先々週あたりから咲き始めたのは知っていたが、今週は満開だ。

ツツジの開花時期は長いので、来月になってもまだずっと咲いているので、植え込みにはなかなかいい。それにツツジは千代田区の花だともいうし。

天気予報では一日曇り空だと言っていたが、その割には日が射している。こういうのを、気象用語では 「うすぐもり」 というらしい。決して 「晴れ」 ではないのだ。気分としては晴れなのだが。

一昨日に京都の街を歩きに歩いたせいで、今日になって少しふくらはぎに張りが出ている。筋肉痛というほどではないが、近頃年のせいで、二日後にこういうのが出てくる。

今夜ははゆっくり風呂に入って寝よう。

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2008年4月20日

卯月二十日の歌

自らの常葉 (とこは)を盾に風を避け膨らみゐたり車輪梅の芽


昨夜、福井への出張のついでに寄った京都から帰って来ると、関東はかなりの強風だった。

この風は北東の冷たい風で、朝になってもまだ止まず、曇っているので気温も上がらない。京都がほのぼのとした春の陽気だったので、ことさらに寒々しい感じがしてしまう。

とはいいながら、我が家の裏のシャリンバイに花芽が付いている。来月になれば派手ではないが趣のある白い花がさくだろう。

どんな花か先回りして見てみたいという方は、昨年皐月二十一日の歌に案外よく撮れた写真があるので、ご覧いただきたい。

シャリンバイは 「車輪梅」 と書いて、やはり梅と同じくバラ科の植物なのだが、常緑の低木である。桜や梅は落葉するのに、同じバラ科でも趣が違う。それでも、花が咲くと梅の仲間というのが納得される。

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2008年4月19日

卯月十九日の歌

八重枝垂れ花の色香を愛でて後 弥陀の光に包まれんとす


福井での仕事を終えて、昨夜は滋賀県の長浜に一泊し、今日は京都に脚を伸ばしてみた。天気は期待通りに回復。晴れ男の効き目がようやく現れた。

朝一番の新快速電車で京都に行き、バスで金閣寺に行く。修学旅行でお馴染みの寺だが、私は修学旅行で京都に来たことがないので、なぜか今まで北山方面には来たことがなかったのだ。

絵はがきで見た通りの金きらきんの金閣の周りは、修学旅行の中学生で一杯だ。早々に切り上げて、竜安寺に向かう。かの有名な石庭を初めてナマで見る。なんだか見とれてしまって、なかなか腰を上げられない。久しぶりに心地よくぼぉぉぉぉっとした。

金閣寺から仁和寺までの道は、近頃 「きぬかけの道」 というらしい。立命館の学生たちは、なかなかしゃれた名前の道を通っているわけだ。

で、きぬかけの道を辿って、次は仁和寺。仁和寺ってやたらと規模がでかい。兼好法師の時代はもっと大きかったらしいから、なるほど、先達がなければわけがわからなかっただろう。

仁和寺の桜は御室桜 (おむろざくら) といって、背が低くて横に広がる。品種的には有明というのが多いようだが、ヤマザクラのように葉と花が同時に出るので、ソメイヨシノとはまた別の風情がある。

写真はその御室桜である。とにかく、京都は桜のバラエティがある。ソメイヨシノ一辺倒の関東とは違って、深みを感じる。

仁和寺を出て、今度はすぐに地下鉄で東山に向かう。今の京都は東西線という地下鉄があるので、あっという間に横断できて便利だ。

東山はまず、銀閣寺。今日は金閣銀閣の揃い踏みである。しかし銀閣寺は肝心の銀閣が屋根の補修とやらでネットで覆われており、残念。この頃にはだんだん時間に追われてくる。

哲学の道を辿って、南禅寺に急ぐ。湯豆腐を食べている暇なんかない。とりあえず三門に登って、後は東本願寺に急ぐ。ウチは浄土真宗大谷派だから、京都に来たときはなるべく東本願寺にお参りすることにしているのだが、なにしろ、このお寺、夕方閉まるのが早い。

四時五分前ぎりぎりに飛び込んだ。阿弥陀堂は既に御簾を閉め始めている。大急ぎで座ってとりあえず合掌。阿弥陀如来の無碍光を、ちょっとだけ浴びることができただろうか。

毎度ながら、大急ぎの京都寺社巡りだった。ああ、もうちょっとのんびりと廻ってみたいものなのだが。

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2008年4月18日

卯月十八日の歌

この月も我を迎ふる雲低く越前の地の春浅きかな


今日は福井に出張。先月来た時と同様、雨に降られた。

東京から新幹線で西に向かっているうちに、だんだん雨が止んで雲が高くなってきたので、もしかして降られずに済むかとも思ったが、米原で北陸線に乗り換えて北上するほどに、雨脚が強まって、ついに止まなかった。

晴れ男の私としては、二ヶ月続けて同じところに出張して両方とも雨に降られたなんていうのは、正真正銘、生まれて初めてである。いやはや、驚いた。

とはいえ、今回の仕事はインドア・オンリーだから、雨がいくら降ろうともほとんど影響なし。明日は京都を散策して帰ろうと思っている。明日は雨は降らないみたいで、ありがたい。

写真は、夕闇迫る福井駅前の様子である。

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2008年4月17日

卯月十七日の歌

降る雨を吸ひ弾きまた濡るるたびビルの隙にも春は這ひ入る


昼過ぎからついに雨が降ってきた。東京都心のビルの外壁も、雨に濡れて光っている。

この雨は明日まで続く雨だそうである。そして、明日は福井に出張なのである。

先月福井に行ったときも雨だった。晴れ男の私としては、実に驚愕ものの珍しさで、二ヶ月連続同じところに出張して、どちらも雨に降られるのである。どうしちゃったのかしらん。

まあ、明日は屋内ばかりの仕事なので、雨の影響は全然ない。問題は明後日に寄る京都だが、明後日はどうやら雨が止んでいそうなのだ。京都の天気予報は曇りとなっている。私の晴れ男ぶりは、こっちの方に働きそうな雲行きなのである。

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2008年4月16日

卯月十六日の歌

葉の色の日を追う毎に深まりて鳥のねぐらはほぼ整ひぬ


今日もありがたいことに、昨日に続いて暖かい日である。天気は昨日ほどじゃなくて薄曇りだが。

で、明日は雨になって、春先の気温に逆戻りなのだそうだ。ああ、春の天気は本当に気まぐれである。この気まぐれさが春なのだが。

「男心 (女心ともいう) と秋の空」 というが、春の空もかなりのものなのである。

取手駅西口ロータリーの木立が、いつの間にか緑が濃くなってしまっている。本当にちょっと見ない間に様変わりする。夏になれば、あのヒヨドリの大群がやってきてこの木立をねぐらにする。

明後日は、先月に続いて福井に出張。今回は同じ福井県でも、あのオバマ氏の勝手連で名を馳せている小浜市になるかと思ったが、先方が用事があって福井市に来るので、やっぱり福井市で会うことになった。

明後日の福井方面の天気予報は雨である。この晴れ男の私が、先月も福井で雨に降られた。福井は雨に縁が深いようだ。まあ、当日は屋内のみの仕事になるから、雨でもかまわない。そして、翌日の京都は曇りとなっている。こっちの方はありがたい。

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2008年4月15日

卯月十五日の歌

新緑の稚魚思はする幼きも銀杏は銀杏の葉の形なり


暖かくなったり寒くなったりの繰り返しだが、今日はなかなか暖かい。コートを着ている人はあまり見かけない。

神田の歩道のイチョウ並木に、新緑がちらほら見え始めた。稚魚の泳ぐのを思い出させるような、小さな小さな葉である。

よく見ると、小さな小さな葉も、きちんとイチョウの葉の形をしているのである。当たり前のことだが、なかなか大したものだ。来月になれば、立派な若葉になって木漏れ日を見せてくれる。

ところで、木漏れ日を下から見上げるとそれぞれが丸く見えるのは、太陽が丸いからだと聞いたことがある。試しに星形の光を当てると、星形の木漏れ日になるそうだ。どんな風にして星形の光を作るのか知らないが。

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2008年4月14日

卯月十四日の歌

昇り切る高みまで影追ひたきもじき見失ふ揚雲雀かな


雨は昨夜の家に上がったらしく、雲も昼頃には晴れて青空が広がった。春らしい景色である。

土手の道を歩くと、いろいろな鳥たちの鳴き声が重なり合って、どれがどれやらわからないほどだ。

辛うじてわかるのは、土手の向こう側の田んぼの上から聞こえる雲雀の声である。声のする方に目を凝らすと、米粒より小さな黒い点がちらちらしている。あれが雲雀だろう。

もう少しあの点を追っていれば、そのうちにすぅっと降下してくるのだろうが、空がまぶしくて、そこまで追い切れない。まさに春景色である。

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2008年4月13日

卯月十三日の歌

敷石の窪みに溜まる朝の雨晴るれば春の霞みとなるらむ


春先の天気は、本当に行ったり来たりである。昨日はあれほど暖かかったのに、今日はまた冷たい雨の朝だ。

これほど暖かくなったり寒くなったりを繰り返しても、それほど体調を崩さずに済んでいるのは、やはり、寒い冬への慣れが体に残っているので、多少冷え込んだとしても、許容範囲だからだろう。

そして、この 「慣れ」 がだんだんと消えていって、暖かさの方に慣れてしまうと、ちょっと冷え込んだときに堪えてしまう。要注意である。

庭の敷石の窪みに、雨が溜まっている。その周りには、いつの間にか緑色が増えている。ぺんぺん草とイヌフグリという、名前はあまりありがたくない草が多いが、春の色はやはり嬉しい。

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2008年4月12日

卯月十二日の歌

菜の花の咲き始むれば新しき芝の土手にも咲けとぞ願ふ


昼前に久しぶりに土手を散歩したら、菜の花が咲き始めていた。新しくできた向こう側の土手は無味乾燥な芝生しかないが、あと三~四年経てば、いろいろな花が咲くだろう。

午後からは、都内に住む長女の荷物運びで、渋滞の中を必死に運転。三時間かかって着けば着いたで、細い一方通行だらけの路地を抜けるのに一苦労。

東京二十三区内は車でなんか移動するものじゃない。

夕食は、久しぶりで長女とファミレスでとる。都内で車を停めて食事するとなると、ファミレスしか選択肢がない。なかなか面倒なことである。

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2008年4月11日

卯月十一日の歌

初夏となり木漏れ日作る同じ葉と思われぬほど若葉幼し


雨の降り続いた昨夜は、車からでると白い息が見えるほどに冷え込んだ。毛布を一枚余計にかけて、ちょうどいいぐらいの夜で、明け方になってもちょっと寒いぐらいだった。

それでも、駐車場から取手駅に向かう道すがら、雑木林の木々の細枝に小さい若葉が点々と顔をのぞかせ始めている。若葉の色をみると、やはり心が浮き立つ。

あと一月もすれば、この薄緑の若葉はかなり大きくなって、見上げれば木漏れ日を作るようになる。季節はどんどん進んでゆく。

昼頃に雨は上がり、明るい日が差してきた。しかしこの晴天も土曜日までで、日曜日は下り坂になるという。このように天気がめまぐるしく変わるのも、春になった証拠である。

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2008年4月10日

卯月十日の歌

毛筆は悪筆なれど今様に QWERTY にて古語の歌詠む


日頃使ひ慣れたる ATOK てふ日本語入力システムに、文語入力モードなるものあるを、今日 (「けふ」 にて変換されたるは嬉し) になりて見つけたり。

モード切り替へはマウスを一度クリックするのみにて、いと簡便なり。かくも簡便なる機能に何故今まで気付かざりしかと、我が迂闊さを笑へり。

試さむとて (「ためさんとて」 との入力では 「多米産とて」 になりてわろし) この日の日記 (「にき」 で 「日記」 に変換されたるは甚だ良し) を下手なる文語にて書かんとすなり。

文語にして歴史的仮名遣いの歌詠む我は、昨日まで和歌の入力に、そこはかとなきぎこちなさを感じをりしが、今日よりは心地良さ増すらむと、喜びをる次第なり。

とはいへ、この頃の天候いと不順にして、昨夜より降り始めたる雨の今日になりても止まず、いと寒々しき景色なり。立春の頃の陽気とて、上着の襟立てて道行く人多し。

この雨のみにても心沈む思ひせしに、さらにまた、今朝の首都圏の電車運行乱れに乱れたるぞ、浮き世の定めとはいへ、人の世の常ならざるを見たる思ひなり。

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2008年4月 9日

卯月九日の歌

春嵐に散り舞ひ飛びし花びらは何の縁 (ゆかり) ぞ訪ね降り来る


昨日の春嵐は一段落して、昼からは春らしい陽気になってきた。

朝、取手駅近くに借りている駐車場に車をおいて駅までの道をたどると、途中のマンションの前に桜の花びらが散っていた。桜の木はかなり遠くにあるのに、ずいぶん遠くまで飛んだものである。

昨日の風がいかに強かったかという証拠のようなものだ。

ところで、今年は懸案のプロジェクトが進行しそうで、忙しくなりそうだ。こんなことなら、満開のうちに花見をしておくんだった。

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2008年4月 8日

卯月八日の歌

春嵐を裂いて来たりし江戸川も荒川も越え雨の東京


夜明け前にごうごうとうなる風の音で目を覚ました。雨が続くとは聞いていたが、こんなに暴風雨になるとは知らなかった。

我が家のベランダの屋根の波形プラスチックが一枚飛んで、行方不明になっている。一体どこまで飛んでしまったんだろう。人に当たって怪我をさせたりしていなければいいのだが。

通勤時は常磐線の中長距離電車が遅れて、その影響で取手-上野間の快速電車も少し遅れていた。とはいえ、思ったほどの遅れでなかったのは幸いだった。

写真は、神田駅近くの弁当屋の吹き飛ばされてしまった旗である。

昨日までの春の陽気とは一転して、今日は寒い。春先はこんなふうに気候が安定しない。近頃ちょっと疲れ気味だから、下手に風邪など引かないように気をつけようと思う。

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2008年4月 7日

卯月七日の歌

日暮れても冷たくもなき雨止まず散り積もる花飛び去りもせず


目が覚めたときは春の日射しが気持ちのいい朝だったのに、出かける頃になると急に空が曇ってきた。

東京都心は、昼前には既に雨が降り出したが、それほどひどい降り方ではない。いかにも春雨ってな感じだ。

ただしかし、この雨は明日も降り続くようで、明日の茨城県南は、最低気温が十一度で、最高気温が十二度なんだそうだ。つまり、明け方もそんなに冷えないかわりに、日が昇ってもほとんど気温が上がらないってことだ。

朝方、取手駅に向かう時に撮った写真が、今日と明日の天気を予感させていたようだ。

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2008年4月 6日

卯月六日の歌

春の野に小さくも咲く花の名を知らで歌詠む我ぞ悲しき


今日は暖かい陽気だったが、家からほとんど出ずにこもりきりで仕事だった。それもあんまりだから、午後にちょっとだけ外に出て、裏の土手の草を撮ったのがこの写真である。

ついこないだまでは枯れ草色だった土手が、すっかり若草色になっている。春というのは今か今かと待っているうちはなかなか来ないが、一度近付いてしまうと、あとは駆け足で駆け抜ける。

いわゆるぺんぺん草、風流にいえばナズナの間に、明るい紫色の小さな花が咲いている。例によって、名前がわからない。いつも春先になると土手一面に咲くのだが、名前がわからないというのはちょっと淋しい。一応、小さなスミレの仲間と思っておこう。

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2008年4月 5日

卯月五日の歌

若枝に散り残りゐる白梅の名残の色の染まず散り行け


桜が散り始めたというのに、我が家の庭の遅咲きの梅は、まだ少し散り残っている。先日の春雷にもめげずに残っているのだから、立派なものだ。

まだ花の残っているのは、青みの残る若い枝だけである。若枝につく花は、咲くのが遅いのだろうか。遅く咲いただけ、いつまでも残っているのかも知れない。

週末はよく晴れて、気温も十八度ぐらいまで上がるらしい。すっかり春になった。

関東の桜は、この週末が最後の見頃だろう。来週からは花吹雪が楽しめそうだと思っていたら、どうやら雨模様になるらしい。

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2008年4月 4日

卯月四日の歌

誰れもゐぬ競輪場の街灯に浮く夜桜の色ぞ妖しき


今日はなんだかんだと忙しくて、日中は写真を撮っている暇もなかったが、帰りに近道の取手競輪場の駐車場を抜けようとすると、夜桜が満開である。

どこも真っ暗で、いくらフラッシュをたいてもまともには写りそうになかったが、たった一本、街灯の下でぽっかりと闇の中に浮かんでいるのがあった。

そこで、車を停めて、カメラの夜景モードでゆっくりとシャッターを切ったらこんなのが撮れた。何枚か撮ったのだが、他はいくら車のウィンドウ枠にカメラを固定してシャッターを押しても、手ブレしていて失敗だった。辛うじてまともなのが、この一枚である。

こうしてみると、なるほど、夜桜というのはとても妖しい。

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2008年4月 3日

卯月三日の歌

のどけきを忘るる春の曉に静かなるかな桜散らざり


昨日に続いて、桜の写真である。せっかく満開の時分なので、今のうちだ。

在原業平は 「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 と詠んだが、業平の頃の桜は、今の主流のソメイヨシノではなく、ヤマザクラだった。

ヤマザクラは一斉に咲くというより、五月雨式に咲いていくのだそうで、そのため開花期間としてはソメイヨシノよりも開花期間が長く、当時の花見の時期も、今よりずっと長かったらしい。

それでも、業平は 「桜がなかったら、春の心はもっとのんびりしてるだろうに」 と詠んだのだから、平安の代と今とでは、スピード感がだいぶ違うようなのだ。

写真は取手競輪場の駐車場の桜。周囲がずらりと桜で囲まれている。今が満開。朝は花見客もいないので、静かに花を眺められるはずなのだが、こちらは時間に追われてさっと通り過ぎただけである。

今の世の中は、よほどのどかじゃないのである。

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2008年4月 2日

卯月二日の歌

春嵐を耐へてなほ咲く桜花見上ぐる空をいや染むるまで


昨日の嵐を 「花散らし」 と言っていたラジオ局もあったが、実際には盛んに散ってしまったのは梅ばかりで、桜はそれほどには散らなかったようだ。

桜はすぐに散ってしまうように思われているが、盛りを過ぎるまでは、しっかりと枝にしがみついて散らない。なかなかたいしたものだ。

我が家から取手駅に向かう道すがら、崖の上に桜の木があり、毎年この時期になるのを楽しみにしている。

ここの桜も、昨日の嵐を見事に持ちこたえたようで、今朝は見事な花盛りだった。このポイントは、花の盛りを過ぎても散りしきる花吹雪でますますいい気持ちになることができる。

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2008年4月 1日

卯月一日の歌

すがりゐし枝を離るる花びらの散り飛ぶ先も知れぬ春嵐


夜が明ける前から、ものすごい風が吹いている。我が家の遅咲きの梅も、ついにこの風に吹かれてどんどん散り始めている。

散った花びらがとんでもないところまで飛ばされるので、下に花びらが積もるという風情もない。

ラジオでは 「花散らしの風」 と言っている。せっかく満開になった桜も、散り始めるかもしれない。

ただ 「花散らし」 という言葉の本来の意味は、花を散らす風ということではないようなのだ。それについては、"「花散らし」 の艶っぽい元々の意味" というタイトルで、Today's Crack に書いている。

「花散らし」 のキーワードでググると、私のこのページがトップに表示される。今日は 「花散らし」 というキーワードで私のブログに辿り着く人が、結構いるようだ。

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