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2008年5月31日

皐月三十一日の歌

夕暮れの闇に溶け込む鳥たちの声こそ如何に無垢にてあらめ


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今日は一段と冷え込んで、春先の寒さだ。これで、明日は暖かくなるというのだから、なかなかめまぐるしいことである。

今年も常磐線取手駅西口ロータリーの木立に、ムクドリの大群が押し寄せてねぐらにし始めている。夕方頃になると、餌をあさるためにあちこちに出かけていたムクドリたちが一斉に帰ってきて、木立の周囲でけたたましい鳴き声をたてている。

鳴き声だけならまだいいが、これだけの大群になると、木の下にひっきりなしに糞が落ちてくる。おちおち歩いてもいられない。

ビルの窓の明かりを背景にして木立を撮影すると、ムクドリたちのシルエットがびっしりと映る。目白押しという言葉は、メジロがびっしりと並んで止まっている様子からきているが、取手駅前では、「ムクドリ押し」 である。

この写真の中に、少なくとも五羽のムクドリが映っているのがおわかりだろうか。右上の角のところにいるのは、くちばしのシルエットまでしっかり映っているのでわかりやすいと思う。

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2008年5月30日

皐月三十日の歌

あしひきのやませの雨に今日も濡れみちのくかけて鉄路は光る


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昨日に続いて今日も肌寒い。朝、玄関を出た途端に、冷たい雨と風のせいで、頬が冷たく感じた。

四月上旬の気温だという。四月上旬といえばそれほど低い気温でもないはずなのだが、夏日が連続して汗ばむほどの陽気に慣れてしまった体には、やはり肌寒い。

晩秋に盛岡に出張し、東北新幹線のホームに降りた途端に 「頬が冷たい」 と感じた。当和歌日記で検索してみると、それは 平成十七年十一月九日のことだったようだ。あれから二年半も経つのか。

あれ以来、風で頬が冷たく感じると、条件反射のように盛岡の新幹線ホームを思い出す。それで、今日の写真は朝の取手駅のホームである。レールが小雨に濡れて冷たく光っている。

今日もまた、枕詞で遊んでしまった。

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2008年5月29日

皐月二十九日の歌

あらたまの都市の薄皮一枚を隔て異界は足下にあり


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「いくらなんでも、もう寒くなったりすることはないだろうね」 と言っていたのだが、自然というのは怖いものである。ちゃんと寒くなった。

先月末の連休に入る頃から天気の変動が大きく、暑くなったり寒くなったりの繰り返しだが、ここ何日か夏日が続いて、夏にも実が入ったと思っていたところに、これである。

昨夜、風呂から出たら 「むむ?」 と異変を感じた。半袖Tシャツを着たら肌寒いのである。風呂に入る前までは、ポロシャツ一枚で暑く感じていたのだが。

それからずっと肌寒い状態が続いていて、今日は朝から気温が横ばいのままなのだそうだ。天気というのは、これだから油断がならない。風邪を引かないように気をつけなければならない。

写真は常磐線取手駅近くの工事現場。都市計画の一環で、私の近道がずたずたにくずされてしまっている。都市の薄皮を剥ぐと異界が現れるということについては、私のもう一つのブログの記事をご参照いただきたい。

なお、「あらたまの」 は 「年、月、日」 にかかる枕詞だが、「年」 ならぬ 「都市」 に無理矢理かけてしまった。近頃ちょっと、枕詞で遊びすぎかも知れないが、これによって掛詞として 「都市」 に掛詞的に 「年月」 という意味を含ませたということにしておきたい。

 

 

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2008年5月28日

皐月二十八日の歌

駅前の景色のみ見て帰路に着く名古屋の奥ぞ計り知れなき


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また名古屋への日帰り出張。あたふたと、とんぼ返りである。名古屋の街は、薄曇りで風が強かった。だが屋外に出たのはほんの数分なので、あまり印象がない。

本当に、名古屋には数え切れないほど来ているが、いつも新幹線ホームと駅前のホテルを往復するばかりで、それ以外のところに行ったことがない。

いや、十五年前ぐらいに、どこか名古屋の中心街で夕食を取ったことがあるが、そこにはタクシーで連れて行かれ、近くで酒を飲んで、その後はそのままタクシーでホテルに帰ったので、どこに連れて行かれたのだか、全然覚えがない。

だから、名古屋の街は全然知らない。こんな街も本当に珍しい。今日も、名古屋駅前の例のとんがりオブジェを眺めただけで、あとはずっと駅前のホテルで会議をし、それが終わると、そのまま新幹線に乗ってしまった。

一度、のんびりと名古屋の街を歩いてみたい気もするが、そんな時間があったら、おそらく京都に脚を伸ばしてしまうだろう。名古屋の街はもしかしたら、一生まともに見る機会がないかもしれない。

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2008年5月27日

皐月二十七日の歌

見上ぐれば夏の日射しは写真にもただ白くして映るものなし


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今日もすっかり夏の天気だった。

舗道の街路樹も、若葉の色からすっかり濃い緑に変わった。その上を見上げると、夏の太陽が照らしている。

暑いことは暑いが、昨日のようなじっとりとした暑さではなく、からりとしたさわやかな暑さだった。ところが、さわやかな晴天は今日までで、明日からは曇りがちとなり、週の後半は崩れるという。

ところで、私は明日は名古屋に日帰り出張になるが、名古屋は一日いい天気になるようだ。せっかくのいい天気でも、私は名古屋駅から地下道を通って、ホテルの会議室に入り、会議が終わればまた地下道を通って帰ってくるだけなのだが。

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2008年5月26日

皐月二十六日の歌

真白なるマーガレットの花に差す乙女の淡き血脈の紅


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近所のショッピングセンターの植え込みに、マーガレットの花が満開になっている。ちなみに、これは確かにマーガレットだと思うのだが、なにぶん、花の名前には詳しくないので、間違っていたらご指摘頂きたい。

で、とりあえず、これはマーガレットであるという前提で話を進める。

マーガレットの花は、白いものだと思っていたが、中にはうっすらとピンクのさしている花もある。どういう遺伝子のいたずらかしらないが、なかなか面白い。

唐突に、自分の昨日の歌を思い出してしまった。

蘆の葉の滴は昔幾度まで我が身の赤き血でありたるか

蘆の葉の滴は、その昔、自分の体の中を流れていたかもしれないと思われたが、マーガレットに差す紅色が自分の中を流れていたかもしれないとは、到底思われなかった。

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2008年5月25日

皐月二十五日の歌

蘆の葉の滴は昔幾度まで我が身の赤き血でありたるか


 

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昨日の午後から本格的な雨になって、今日の昼前まで降り続いた。

雨が降っている間は、日が昇っても気温が下がり続けて、半袖では肌寒いほどだったが、午後になって少し日射しが戻って、少し気温が上がった。

長袖を引っ張り出そうかとも思ったが、それには及ばなかった。

昨日は高校の昭和 四十六年卒業組で、首都圏在住者が集まって定例会を開いた。私は順番で幹事だったのだが、二次会までなんとか無事に終わってほっとした。来年は気楽に参加できる。

土手の散歩道に映えている葦の葉に、雨の滴が玉になって残っている。転がり流れて地面に吸い込まれる前に、蒸発して大気中に戻りそうだ。

水は常に姿を変える。この滴はその昔、私の体内を流れていた水かもしれない。

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2008年5月24日

皐月二十四日の歌

久方の奄美の島の織り人の息遣いして車輪梅咲く


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いつの間にか、我が家の裏手のシャリンバイが白い花を咲かせていた。既に何度か書いたが、この木は、我が家の長女が子どもの頃、道端に落ちていた棒っ切れを拾ってきて地面に挿しておいたら、根付いて成長したものである。

長い間、何の木かわからなかったのだが、数年前、植木やさんに教えてもらってシャリンバイだとわかった。

シャリンバイといえば、私はすぐに奄美大島が思い起こされる。大島紬の関連で視察に行ったとき、おの漆黒の色を染め出すのが、このシャリンバイのチップだと知った。チップから抽出された色素が糸を染め、それを泥田の中に埋めることで、土の中の触媒と反応して黒に変わる。そして、それを三度ほど繰り返す。

気の遠くなるような作業である。値段の張るのも道理である。私はこのシャリンバイの花が咲くたびに、奄美大島での感動を思い出す。

「久方の」 は 「光」 とか 「天 (あま)」 にかかる枕詞だが、無理矢理に 「奄美大島」 の 「あま」 にかけている。

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2008年5月23日

皐月二十三日の歌

この我は海に生まれし命にて田の水面にも溶くる我なり


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私は 「米作りのさかんな庄内平野」 で育ったので、田んぼの景色というのはとても安心する原風景として印象づけられている。

今の季節の田んぼの景色というのは、また格別に好きだ。まだ稲が小さくてすかすかなので、周りの景色が水面に映りこみ、とても美しい。

故郷の鳥海山の中腹から、今の季節の庄内平野を見下ろすと、海と陸の両方に水が満ちて、空を映している。なにしろ、庄内平野は田んぼだらけだから、水ばっかりなのである。

その海と陸に満ちる水を隔てる境界線が、細く遙かに伸びる庄内砂丘だ。この境界線がなければ、海が山際まで入ってきているようにさえ錯覚される。

我々は太古の昔、海で生まれたのである。だから、我々は水なのである。

 

 

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2008年5月22日

皐月二十二日の歌

日溜まりを愛づる季節の過ぎ去りて今日は日陰を伝ひ歩きぬ


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日溜まりでほっとする季節はとっくに過ぎ去って、日陰に逃げ込む季節になろうとしている。今日も歩いているだけで汗ばむ陽気だ。

実は日曜日に一人で自宅の裏のかなりの面積の草刈りをして大変な汗をかいた。そしてシャワーもそこそこに昼から仕事で外出したまま、夜中までばたばたしていたので、疲れがたまったらしく、月曜、火曜あたりは、なんとなく風邪を引きかけているような気がしていた。

ところが、昨日から夏の暑さになってまた汗をかいた効果なのか、すっかり風邪が飛んでいってしまった。筋肉痛もすっかり消えて、ぴんぴんしている。やはり、陽気は寒いより暖かい方がいい。暑すぎるのは困るが。

そして今度の週末の土曜日は、私が幹事になって、首都圏在住の高校時代の同級生が集まる例会を開くことになっている。あいにくだが、この日の天気は 「曇りのち雨」 となっている。

酔っぱらって雨に濡れると、せっかく飛んでいった風邪っけが戻ってこないとも限らない。せいぜい気をつけよう。

写真は道ばたで見かけたケシ。栽培禁止の品種じゃないと思うのだが、よくはわからない。

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2008年5月21日

皐月二十一日の歌

照りつける日差しの中の何物を拾ひ舗道はかくも白きか


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昨日とはうってかわった夏空である。東京は最高気温が二十五度の夏日になると予想されている。

朝、街を歩いて赤信号で止まると、舗道の日向はほとんど真夏の暑さだ。じりじりと照りつけられて、気温はどんどん上がっている。

ここまで来れば、連休直後のようなストーブの欲しくなる寒さに戻ることもなかろう。安心して冬服をクリーニングに出せる。

そしてあとは、梅雨の湿り気と、うだるような盛夏の暑さが来るのを待つだけだ。今日はその暑さの先触れである。

 

 

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2008年5月20日

皐月二十日の歌

遙かなる野分の風に我が宿の裏の川にも立つる白波


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天気予報では、昨日の夕方から大雨になると言っていた。その割には、深夜近くになってもそれほどの雨にはならないので、低気圧だか台風だかは、予報より遠くを通過しているのだと思っていた。

ところが、朝早くに目を覚ますと、まぎれもない雨風である。裏の川が、見たこともないほど広くなっている。

何しろ、昨年まではほんの 「小川」 だった川である。それが今年の春先に拡幅工事のせいで川幅が二倍になったのだ。その川の水位が上昇して、唖然とするほどの流れになっている。

あまつさえ、その川面にはひっきりなしに白波まで立っている。水田もあれだけ緑色が濃くなっていたのに、水没してしまい、景色が変わってしまった。

朝は常磐線にもかなり遅れが出たが、昼過ぎには天気が回復した。それにしても、今年は五月のうちから二度も台風の影響を被っている。夏から秋にかけてはどんなにか台風の当たり年になるだろうか。

それとも、今度は気圧配置の大勢が変わってしまって、台風が発生しにくくなったりして。

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2008年5月19日

皐月十九日の歌

ぽつぽつと雨降り始め草刈りの筋肉痛は未だ引かざり


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昨日の草刈りの筋肉痛が、早くも現れた。運動不足だと一日か二日遅れで筋肉痛になるから、最近はどうやら、かろうじて運動が足りているようだ。

四日間続いた気持ちのいい晴天にも幕が引かれて、今日は朝からどんよりしている。どんよりだけならまだいいが、夕方から雨になって、明日にかけて大雨になるらしい。

ちょっと前までは、私の自宅は洪水地帯で、大雨が降ると必ず道路が冠水して、車が通れなくなっていた。だから、前夜の内に車を高台に避難させて、夜は心配で眠れなかった。(それでも結局は眠っていたが)

二十数年前には、床下浸水で近くの中学校に避難したこともあるが、今は治水設備がようやく整って、ちょっとやそっとの雨では洪水にならずに済むようになった。夜通し雨が降っても、安心して眠っていられる。

それでも、やっぱり大雨はさっさと通り過ぎてもらいたい。

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2008年5月18日

皐月十八日の歌

鳥たちはただ嬉しさに鳴きゐるか鳴き鳴きて空の深きに入るか


 

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土日の二日間が連続して上天気というのは、これは掛け値なしにかなり久しぶりである。天気もいいし、風もさわやかだし、小鳥たちの声も賑やかだし、なかなかいい週末だ。

土日とはいえ、仕事が立て込んでいて、今日も午後から仕事で外出である。そして、午前中に裏の土手際の草刈りをした。

来週の日曜日が町内会の一斉草刈りだが、私は都合で出られない。それで、ノルマ分ぐらいは一週間前に刈り取っておいたのである。なんて律儀が私。

町内会の電動草刈り機を借りようかとも思ったが、思い直して、敢えて釜をふるって人力でかなりひろい範囲の草を刈った。なまじ天気がいいので大量の汗をかいて、頭がクラクラするほどだった。

このエネルギー消費で、体重が二~三キロぐらい減ってくれたらうれしい。体重が減るなら、翌日か翌々日の筋肉痛ぐらいはいくらでも我慢する。

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2008年5月17日

皐月十七日の歌

とりたてて良きこともなき日なれども懐かしき歌口ずさみをり


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これぞ初夏と言いたくなるような、いい気持ちの陽気が続いている。今日も夜には雨になるかもしれないと言われていたが、筑波周辺はそんなこともないようだ。

週末に天気がいいのは、何週間ぶりだろうかと思って、自分の和歌日記を調べたら、五月三日には晴れていたようだ。人間の記憶というのは、あまり当てにならない。

今日のような気持ちのいい空を見上げていると、とりたてていいことがあったわけでもないのに、自然にうれしくなって、表情が柔らかくなっている。車を運転していて、カーラジオから懐かしい歌が流れると、一緒になって口ずさんでいる。

私も結構単純な男である。

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2008年5月16日

皐月十六日の歌

田を染むる早苗の緑彼方まで一夜のうちに濃さを増したり


 

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昨日一日で、田の緑色が急に濃くなった気がする。視界の中で、グリーンのドットが増えたということだ。

この新緑の苗が四ヶ月もすれば黄金の穂波になって収穫されるというのは、案外不思議なことのように思われる。稲の生育というのは、かなり早いものなのだ。

今日は風もさわやかだ。一年の内で一番快適な時節である。こんな日が続いてくれるとありがたい。週末は晴れるようだが、週明けはまた雨が降りそうだ。

今度の土日もまた、休めない。今夜は早めに寝ることにしよう。

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2008年5月15日

皐月十五日の歌

雲晴れて鏡の如き田に映る苗は再び伸びてゆくらし


 

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ようやく暖かさが戻った。というより、この一週間近く寒すぎたので、急に暑く感じてしまうほどだ。

今日は車で栃木県に出張。外の空気を入れながら走ると気持ちがいい。最近ガソリンの値段が高くなったのをきっかけに、なるべくエアコンのスイッチを入れないようにしている。

金額的にはささやかな節約だろうが、CO2の排出が減っているだろうと思うと、少しは気持ちがいい。

日中はほとんど風がなくて、田んぼの水面は鏡のように平らだ。その鏡のような水面に、植えられたばかりの早苗が行儀良く映っている。日差しが戻って、ようやくまた伸びていきそうな気配になった。

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2008年5月14日

皐月十四日の歌

見上ぐれば雲厚き日にまたしてもドイツ民謡の節浮かび来る


 

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今日も寒いが、昨日ほどの寒さではない。どうやら寒さの谷は越えたようだ。明日の東京の気温は二十度を越すらしいし。

朝、取手駅から電車に乗るときに、西口のペデストリアンデッキから南の空を望むと、ますます暗くどんよりとしている。上野駅に着いてみるとまともな本降りだったので、「やっぱりね」 という気がした。

先週の金曜の夜から天気がぐずついているが、その辺りから、なぜかドイツ民謡の節が浮かんでくる。「ムシデン、ムシデン」 の歌詞で知られる 「別れの歌」 という歌だ。日本では 「さらば、さらば、我が友」 という訳詞で知られる。

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2008年5月13日

皐月十三日の歌

オフィスビルの廊下の壁の冷たさを肩に背負ひて行く昼下がり


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寒い。これは 「肌寒い」 というレベルではない。完全に 「寒い!」 という天気である。五月中旬でこんなに寒いというのは、近頃ではあまり記憶にない。

このところ、本当に天気が極端から極端に振れる。台風が来るから少しはなま暖かい風でも吹くかと思ったら、逆に朝鮮半島にある低気圧の寒気団と、北東高気圧から冷たい空気が流れ込み、ますます寒くなってしまった。

昨日は 「おろおろ歩く」 ほどでもなかったが、今日はかなりの人の歩き姿が 「おろおろ」 している。

この寒さで 「夏の歌」 というカテゴリーにするのは気が引けるが、「寒さの夏」 というのもあるから、仕方がない。寒さは明日まで続くそうで、明後日は東京も気温が二十度を超えて、五月らしい陽気に戻るという。

明後日は、車で栃木県まで出張だ。陽気がよくなるのは、本当にありがたい。楽しみである。

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2008年5月12日

皐月十二日の歌

やませてふ冷たき風の入り来たりおろおろ歩く人はなけれど


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金曜の夜からずっと肌寒い。

六日の日記で 「以前は連休前後に必ずストーブをつけるような寒い日があったが、近頃では考えられない」 といったようなことを書いてしまったが、利根川の北となるつくばでは、一昨日辺りから、夜になるとストーブが欲しい。

ところが、灯油は全部ボイラーのタンクに移してしまったので、夜は厚着をして耐えている。早まってしまった。近頃の天気は極端から極端に振れるというのを忘れていた。

こんな気候になると、私はいつも宮沢賢治の 「雨ニモ負ケズ」 の 「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」 という一節を思い出す。

実際には季節感がまだちょっと早いが、寒さの原因が北の高気圧から入ってくる冷たくしめった風、いわゆる 「やませ」 というのは共通している。

 

 

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2008年5月11日

皐月十一日の歌

雨上がり射し来る日影満開の躑躅の花を浮き立たすなり


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朝方は昨日の冷たい雨が残っていたが、昼過ぎにはようやく止んで、少しは空が明るくなった。

あちこちで、ツツジの花が満開である。ツツジというのは、写真に撮るのが案外難しい。なぜだか、写真というよりクレヨンか何かで描いた絵のようなイメージになってしまう。

きっと、明暗のコントラストがない晴れた空の下で撮るからかもしれない。どうしてもべったりと平面的になってしまう。

今日のような微妙な天気の方が、なんとなく花の写真らしく撮れる。なかなか難しいものである。

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2008年5月10日

皐月十日の歌

厚き雲低く垂れ込め風吹けど田には緑の影ぞ増し行く


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しばらく続いていた初夏らしい天気が、昨日の夜あたりから一変して、今日は三月下旬の陽気だそうだ。「夏の歌」 というカテゴリーにするのを憚られるほどである。

今日は朝から小雨模様。朝から気温が全然上がらず、肌寒い。この基調が、来週の初めまで続くらしい。

五月の中旬にさしかかったところで、なかなか極端な推移である。これだから、天気というのは油断がならない。

こんな天気でも、田植えの終わった田んぼは、遠くから眺めても少しずつ緑色が増してきている。休耕田を利用して麦畑になったところは、だんだん穂が大きくなっている。

見えないところで、夏は進行する。

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2008年5月 9日

皐月九日の歌

浅草の観自在なる眼に見ゆる江戸の香りの遙かなる空


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永六輔さんが 「江戸の景色」 として絶賛する景色がある。

浅草寺の裏手に、九代目団十郎の 「暫」 の像があるが、一度その像に向かって、くるりと百八十度振り返る。すると、ビルや電線が全然見えない 「江戸の景色」 が見える。

今日は秋葉原からつくばエクスプレスに乗って、浅草で降り、日が暮れる前にその 「江戸の景色」 を撮影できた。なるほど、観音様は 「観自在菩薩」 とも呼ばれるだけあって、自在に心のままに世を観られるようなのである。

この写真を撮ったついでに浅草演芸ホールに寄って、伯楽師匠の 「猫の皿」、正楽師匠の紙切り、小三治師匠の 「一眼国」 を堪能してきた。ただし、ペヤング文楽の 「ちはやぶる」では寝てた。

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2008年5月 8日

皐月八日の歌

なゐの夜の明くれば空の底までも揺るるものなき夏となりたり


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未明の地震には、ちょっと驚いた。驚いたといっても、ちょうど熟睡にさしかかる頃だったので、そのまま寝ていたのだが。

夜中の一時頃、ベッドに入った直後から何度か小さな揺れを感じていたが、「いつものやつだろう」 ぐらいに考えて、起きあがりもしなかった。筑波周辺は地震の巣窟で、震度四ぐらいの地震は珍しくも何ともないのである。

ところが、「いつものやつ」 じゃなかったようなのである。いつものやつなら、「震源地は茨城県南西部」 ということになるのだが、今回のは茨城県沖だから、素性が違う。

道理で一番大きなやつは、しばらく初期微動が続いてから、突然グラグラっと来た。こういうのは、震源地が遠く離れているということだから、いつもならまず最初に田舎のことが心配になってラジオをつけるのだが、今回は寝ぼけていて、なんのことなく熟睡してしまった。

申し訳ないことだが、人間、寝ぼけると白状になる。

夜が明ければ、今日も初夏の空である。なお、「なゐ」 は地震の古語。

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2008年5月 7日

皐月七日の歌

夏祭近づき来れば耳の内に祭囃子ぞ聞こえ始むる


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夏祭りの時期になった。上野駅に下谷神社の大祭で使われる御輿が飾られている。祭礼は明後日からだそうだ。そういえば、神田祭も始まるなあ。

私の田舎の酒田祭りは今月十五日からである。近頃、この祭りに遭遇していない。一度この時期に帰郷したいなあ。

ただ、私としては 「山王祭」 という昔からの名前の方がしっくりくるのだが、酒田大火からの復活を祝うという名目で、いつの間にか 「酒田祭り」 という名前に変わっていた。

四百年も続いた祭りの名前をあっさりと変えてしまうなんて、さすが、ものにこだわらない酒田の人たちのやることである。

私は酒田の生まれなので、「モノ」 にはこだわらないが、「コト」 にはこだわりたいので、いつの日か 「山王祭」 に戻してもらいたいと思っている。そんなような運動を起こそうかしらん。

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2008年5月 6日

皐月六日の歌

世の中は夏の色にぞ変わりける水満々と空を映せば


 

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立夏を過ぎたので、今日から 「夏の歌」 というカテゴリーである。

以前は、立夏といっても実際には晩春の気候で、 「暦の上ではもう夏」 などと断りを入れなければならなかったが、近頃ではそんな手続きは不要だ。今日なんか、しっかりと 「初夏」 の陽気である。

つくばに越してきた頃は、連休前後に必ず肌寒い日が何日かあって、ストーブを点けていた。だから、連休が終わって何日かしてから、ようやく灯油をボイラーのタンクに移していたものである。

ところが、近頃では連休でストーブを点けるなんて考えられない。晴れた日に車に乗り込めば、むっとするほどの熱気で、ハンドルがかなり熱くなっていたりする。

近所の岡堰では、田植え用の水がしっかりと溜め込まれ、小さなダム湖のような趣になっている。その水面に、初夏の空の青さが映っている。

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2008年5月 5日

皐月五日の歌

初夏の日の射す頃となり巡り来る命日なれば華をこそ盛れ


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母の一周忌が無事に終わった。命日は五月十日だが、連休のうちに済ませるということで、五月五日にしてしまったのだが、早いものだ。亡くなってもう一年になろうとしているのである。

写真は、我が家から送った生花。「風花の花屋便り」 の風花さんでアレンジしてもらったもの。さすがにきれいにしてもらった。写真がもうちょっとましだったら、その美しさがもっと伝わるのに。

法事が終わり、夕方六時に酒田を出発して、夜中の一時頃に我が家に着いた。途中まではかなりの雨だったが、福島県に入ったあたりから小降りになり、着いたときには完全に止んでいた。

おかげで、荷物の積み降ろしは楽に済んだ。

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2008年5月 4日

皐月四日の歌

月山を下れば嬉し鳥海の山こそ見ゆれ朧なれども


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母の一周忌のために、家族で酒田に帰ってきている。つくばの地を朝の九時過ぎに経って、酒田には夕方の六時頃に着いた。

月山街道を越えて庄内の地に降りると、正面に鳥海山の姿が見える。庄内は今日、フェーン現象で気温が二十八度以上になったため、もやがかかってかすんでいるが、雲はかかっておらず、目をこらせば全貌が見える。

ふるさとの山というのは、特別の感慨がある。何度向き合っても、いいものである。

ところで、E-Mobile の公式サイトで確認したところでは、酒田の実家は十分カバーエリアに入っているはずなのだが、実際には電波状態が悪く、外に出て車の中で更新している。しんどいことである。

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2008年5月 3日

皐月三日の歌

春の田の水面遥かに輝くは雲の絶間の日影なるらむ


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もしかしたら、二十九日から六日までの間に、一度も雨が降らないかもしれないなんていう、奇跡的なゴールデンウィークも期待されたが、昨日から今日にかけてあっけなく雨降りになって、観測史上発の椿事は実現しなかった。

今日の昼過ぎになって少しずつ雲が取れ始めて、夕方になる前には青空が広がった。

母の一周忌で、明日から酒田に帰るが、法事の当日、五日は、雨になりそうだ。

そういえば、昨年の母の葬儀も、朝から雨が降り、雷がなり、昼前には晴れ上がり、なんでもありの天気だった。賑やかなのが好きな人だったからなあ。

そしてそれから後、四十九日があけるまでは、さしもの晴れ男の私も、出張先で雨ばかりだった。

その代わりに、車で移動する間は、降らずに済みそうである。渋滞が予想されるし、雨まで降ったらたまらないから、移動の間に降らずにいてくれる方がありがたい。

田植えの季節。周囲の田んぼは水が満々と張られている。写真は湖ではなく、田んぼである。日本は瑞穂の国、水の豊かな国である。

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2008年5月 2日

皐月二日の歌

天気図の谷より湧くか黒雲の皐月の山を越ゆる能はず


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このところ、東西にずっと長く続く帯状高気圧のおかげで、四月二十九日から一週間以上続くゴールデンウィークの間は、一度も雨が降らずに済むかもしれないなんて思っていたが、やっぱりそんなわけにもいかないようだ。

高気圧が帯状に続くと言っても、べったりと高気圧状態なわけではなく、その中にコブのように高いところがいくつかあって、そのコブとコブとの間が気圧の谷になる。その谷が、一丁前の低気圧になってしまったようで、やっぱり降るときは降るのだ。

明日は関東が雨模様。一周忌で酒田に帰るときは、向こうはなんとかもちそうだ。そのあたりは、晴れ男の力を発揮したいものである。といっても、自分の力ってわけじゃないのだが。

写真は、上野駅から鶯谷方向を望んだところ。

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2008年5月 1日

皐月一日の歌

徒に空と雲のみ映るゐし田に今朝並ぶ早苗うつくし


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今日から五月。五月の晴天というと、すぐに 「五月晴れ」 と言い出す人が多いが、何度も書いているように、本来の五月晴れは旧暦の話だから、もう少し先の梅雨時の話になる。

本当は梅雨の晴れ間のことを 「五月晴れ」 というのだが、今ではすっかり新暦の五月の晴天のことをいうようになってしまった。

で、まあ、今日は近頃で言われるところの 「五月晴れ」 である。ああ、しっくりこないなあ。

外を歩けば汗ばむぐらいなので、カテゴリーは 「夏の歌」 としておきたいぐらいのものだが、立夏は連休最後の五月六日なので、まだ 「春の歌」 としておこう。

近所では田植えが始まっていて、水の張られた田んぼに、だんだんと小さな苗が目立ち始めた。来月になれば隙間がなくなって、空が映らなくなる。

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