皐月二十三日の歌
この我は海に生まれし命にて田の水面にも溶くる我なり
私は 「米作りのさかんな庄内平野」 で育ったので、田んぼの景色というのはとても安心する原風景として印象づけられている。
今の季節の田んぼの景色というのは、また格別に好きだ。まだ稲が小さくてすかすかなので、周りの景色が水面に映りこみ、とても美しい。
故郷の鳥海山の中腹から、今の季節の庄内平野を見下ろすと、海と陸の両方に水が満ちて、空を映している。なにしろ、庄内平野は田んぼだらけだから、水ばっかりなのである。
その海と陸に満ちる水を隔てる境界線が、細く遙かに伸びる庄内砂丘だ。この境界線がなければ、海が山際まで入ってきているようにさえ錯覚される。
我々は太古の昔、海で生まれたのである。だから、我々は水なのである。
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