水無月九日の歌
川面には波紋の描く模様ありてその意味を知る年経る我は
朝から細かい雨が降っていて、こりゃ一日雨かと思っていたが、いつの間にか止んでしまった。しかし、夕方五時前後から急に大粒の雨になって、ちょっと驚いた。
朝の天気予報では雷がなるなどといわれていたので、早めに帰宅しないと、常磐線が止まってしまうのではないかと思い、早々に上野駅で電車に飛び乗ったが、案に相違して、取手駅に着いたらまだ曇り空で、路面が濡れてもいない。
今日はなかなか意外性のある天気である。
朝、わが家の階段の踊り場から裏の川を見下ろすと、川面に不思議な模様が出ている。波の細かいところと大まかなところがくっきりと分かれているのだ。
以前なら、どうしてこんな模様ができるのだろうと不思議に思うところだが、今年の私はそのわけを知っている。
川の真ん中ののっぺりと見えるところは、川底が浅く、向こう側の細かい波が立っているあたりは深いのだ。真ん中は今年の春までは土手だったところであり、その向こう側はしっかりと掘ってしまった辺りである。拡幅工事をしっかりと見守ったおかげで、それが理解できる
毎日眺めて暮らす川だけに、その底の様子さえありありとうかがわれる。川の表面には川の歴史が描かれる。そして、それを知る私は、たかだか三十年この川を見続けた私ではない。千年もの昔からここを知る 「年経る我」 である。
私の中の 「年経る我」 って、なんだかすごい。川の発する言葉さえ理解できそうなのである。
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