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2008年8月31日

葉月三十一日の歌

黒雲の北の空にて途切れたるあの境目に秋は今ゐる 


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まったくもう、先週末からずっとおかしな天気がつづいている。茨城の県南地域はずっと洪水警報が出っぱなしで、あちこち道路冠水で通行止めになっている。

我が家の廻りも、以前ならば確実に道路冠水していたところだが、近頃治水対策が進んで、裏の川の幅が倍になったこともあり、今回は何の被害も出ていない。ありがたいことである。

どうやら、今日あたりが天気の変わり目で、明日からはそれほどの大雨や雷の心配はなくなるらしい。そのかわり、最高気温も三十度になると予想されている。残暑のぶり返しだ。さぞかし蒸し暑いだろう。

今日、夕方に北の方向に見えた空である。黒雲が切れかかっている。あの辺りに秋はあるのだろう。

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葉月三十日の歌

幾日も乾かぬままにとりどりの光の映る道を辿りぬ


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本当にもう、こんなに毎日毎日雷が鳴り響くなんてのは、生まれて初めてだ。昨日の日記に書いた 「いかなる御霊の祟りにやあらむ」 というのが、冗談ではなくなってしまいそうだ。

近頃、休日もへったくれもなくて、今日も夜になってから車で100キロの道のりを帰ってきた。

近頃運転していて思うのだが、あまり無闇にスピードを出す人が少なくなったような気がする。高速道路でも、大体時速九十キロ以下で走っている人が多い。

私自身も最近は回転数を二千五百ぐらいに抑えて走ることが多い。理由はもちろん、燃費対策である。このくらいで走ると、三千五百回転ぐらいでビュンビュン走るときに比べ、ガソリンの消費は七割以下で済むような印象だ。

ガソリン価格が上がって、道路混雑と交通事故が減っているんじゃあるまいか。

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2008年8月29日

葉月二十九日の歌

垂れ込むる雲に重なる黒雲の影より腹に響く雷鳴


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いかなる御霊の祟りにやあらむ。昨日より坂東のみならず敷島の空広く雷雲に覆われて、恐ろしき雷鳴、昼と言はず夜と言はず、轟き続けゐるなり。

いにしへの菅原道真公、太宰府に没し給ひし時、都には雷鳴轟き、清涼殿に落雷せしとや聞く。各地の天満宮は、道真公の祟りを鎮むるために造営せられしとかや。この夏、各地にて大雨、雷の災い相次ぐは、さだめし御霊の嘆き世に充ち満ち給ふものと推量す。

さて、その御霊とはいかなる御霊なるか。秋葉原にて謂はれなくも無差別殺人されたる人の御霊か、あるいは、次々に執行されし死刑囚のものなるか。そはいかなるものとも推量さるるべし。

されば、いかなる御社にて祀り給はるべき御霊なるや、世の人にははかり知られぬことなれば、我ら心整へて、ひたすらに世の安寧をこそ祈るのみなれ。請ひ願わくは敷島の空に久方の清々しき青空戻らむことを。

などと書くうちに、昼を過ぎし東京に青空広がり始めたるなり。

頭の中が千年以上先祖返りせしため、本日の和歌日記本文は、えんぱわーど・ばい ATOK 文語モード (いつもは、和歌の部分のみに重宝しゐるもの) にて書かれしものなり。

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2008年8月28日

葉月二十八日の歌

大粒の雨を背負ひて坂東の川を渡ればそこは青空


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電話で 「暑さが続きますね」 なんて言われると、内心 「暑かぁないよ」 とつぶやいている。マニュアル通りの応対にもほどがある。

今朝、家を出ようとしたら大粒の雨がバラバラと降ってきた。車を運転して小貝川を越えたと思ったら、その雨は急に止んだ。川を境に天気が変わってしまうというのはよくあることだが、今朝のは見事な変わりようだった。

写真は、雨の降っていない南岸からまだ降っている北岸を望んだところ、左側に雲が薄れて青空が除きかかっているが、右側はかなりの雨である。

 

 

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2008年8月27日

葉月二十七日の歌

見上ぐれば刷毛で掃きたる如き雲 掃きたる向きは様々なれど


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今朝、出がけに北東の空をみると、刷毛ではいたような筋雲が見えた。秋の雲である。

反対側の空をみると、前夜までの雨雲が空を覆っていて、まったく別の印象だったのだが、とりあえず、秋を感じさせる空があらわれたということは貴重である。

天気予報では、茨城南部の今日の天気は曇りのち雨、明日は一日雨ということなのだが、それよりは少しいい方に振れているようだ。

展示会は今日で終わり。この写真は朝に撮っておいたのだが、更新の時間がなく、夜更けになってしまった。、

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2008年8月26日

葉月二十六日の歌

耐へきれず食らいつきたるものならぬフライドチキンに感慨はなし


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今日は一日、展示会主催者としての仕事。展示会の当事者というのは、立ちっぱなしの時間が長く、足が疲れるものである。

帰りが遅くなり、夕食は行き当たりばったりにケンタッキー・フライド・チキンの店に飛び込んだ。

私は一年に二度ぐらい、無性にケンタッキー・フライド・チキンが食べたくなることがある。食べたくなって堪らなくなってから、三日ぐらい我慢し、ついに耐えきれなくなって食べると、これが実においしい。

ところが、今日はとくに 「ケンタッキー・フライド・チキンが食べたい症候群」 が発症していたわけでもないのに、つい成り行きで食べてしまったものだから、あまりおいしいとも思われなかった。なんだか気が抜けてしまった。

写真は展示会場に飾ってあった花。写真だと大きさがわからないかもしれないが、私の背丈より高い豪華版である。

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2008年8月25日

葉月二十五日の歌

轟々と電車の行きしガード下は様々の音満つる静けさ


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涼しいといえば涼しいが、街を歩いているとじっとりと汗がにじむ。要するに、湿っぽいのだ。

雨も降ったり止んだり。降ったと思うとすぐに止むのだが、なかなか落ち着かない。はっきりしない天気である。

とはいえ、先週のような大雨で帰りの電車の運行がずたずたに乱れるというようなことはないようだ。ただ単に 「はっきりしない天気」 というだけのことだ。

神田駅の周辺も、今日はのんびりしている。明日と明後日は有明で展示会だ。

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2008年8月24日

葉月二十四日の歌

牛久なる弥陀の脚下に近付けど眼差しはなほ遥かなりけり


 

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今日は車で阿見町方面の出かけた帰り、ふとみると、遠くに大仏様の頭が見えたので、曲がりくねった道を辿ると、ようやく全貌が見える入り口に着いた。

残念ながら、拝観時間は 五時半までで、入り口はその三十分前に閉じられるため、ギリギリで入場できなかった。駐車場にはまだたくさんの車があり、残り三十分足らずの見物で賑わっているようだった。

これは牛久大仏という仏像で、何でも、世界一大きな仏像なんだそうだ。どのくらい大きいかは、下の方にチマチマと見える車と比較してみれば想像がつく。茨城県で最も高い建造物でもあるそうで、それがビルではなく仏像というのがおもしろい。茨城県って、よくわからないところである。

茨城県に住みながら、そして浄土真宗門徒でありながら (この大仏は阿弥陀如来)、今日という今日まで、実際に拝んだことがなかった。近くでみると、背中の方に小さな窓が見えたので、どうやら中に入れるらしい。機会があったら入ってみたい。

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2008年8月23日

葉月二十三日の歌

日当たりのよき処ほど稲の穂の低く垂れゐて処暑となりたり


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今日は二十四節気の処暑。「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」 とあるが、待ちかねたように涼しい一日になった。

立秋もとっくに過ぎていることだし、いつから 「秋の歌」 というカテゴリーをスタートさせようかとうずうずしていたが、今日はそれを始めるのに十分な涼しさである。

田んぼの稲も、日当たりのいい辺りではかなり穂を垂れてきた。早いところでは、今月末から稲刈りが始まる。

今年の夏は、世間で言うところのお盆休みに、仙台の法事と大阪出張と、酒田への帰郷という三連続長距離移動で、かなりバテバテになり、何が何だかわからないうちに終わろうとしている。

今年のような忙しい夏は、もうご免である。

 

 

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2008年8月22日

葉月二十二日の歌

黄昏の空の奥なる雲間にて今消えて行く夏の残照


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今日は朝から秋を思わせる涼しい陽気。夕方から怪しい雲が出始めたが、昨日のような猛烈な雷雨もなく、なんとか平穏に日が暮れた。

その代わり、複数のクライアントから、「PC が昨夜の雷にやられたみたいで、電源すら入らない」 との SOS コールが入った。少なくとも電源ユニットはやられてるだろうから、交換ということになる。

気の毒だが、私はハードの保守まで引き受けているわけじゃないので、こればかりは、専門の業者に修理を依頼してくださいとしか答えられない。

取手駅に着くと、もう日はとっぷりと暮れている。もう 「秋の歌」 というカテゴリーを開始したいような気もするが、それはもう少し後にしておこう。明日は二十四節気の処暑だし、それを過ぎてからでも遅くない。

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2008年8月21日

葉月二十一日の歌

鉄骨と煉瓦の色の褪せ果てて昔の風をきくガード下


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この歌は、実は昨日の歌として詠んで、昼のうちに更新しておいたものである。もしかしたら、デジャブ感にとらわれてしまった人もいるかもしれない。

昨日の夕方、どうしてもリアルタイムで書いておきたいことができてしまったので、急遽差し替えて、昨日の分は今日に回すという非常措置をとらせてもらった。

写真は、神田駅前のガード下。昭和四十年代の雰囲気を残している。鉄骨と煉瓦の色がすっかり褪せて、まるで平成の世の中とは思われないほどの雰囲気である。

日陰になるので、風が吹き込むと少しは涼しい。それでも、ひっきりなしに車が通りすぎるので、気持ちがいいというわけでもない。なんだか不可思議な空間である。

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2008年8月20日

葉月二十日の歌

懐かしきものの終はりになぜかいつも飛行機雲が空に輝く


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今日は昼頃に一度更新したのだが、それは破棄して、新たに書き換えている。

今、「倉庫の二階」 の 「オールナイトチョメチョメ」 に行くところ。お江戸両国亭で開催されるので、あの伝説の 「フォークロアセンター」 にちょっと顔を出してから行こうと思ったのである。

マスターの国崎さんと会うのも、ほぼ三十年ぶりだ。

両国駅からの道を懐かしく辿り、狭い階段を昇ったら、そこは物置状態だった。奥にいたのは初対面の女性。国崎さんの奥さんだろうか。今はフォークロアセンター、やってないんだという。近々、一階でなんらかの形で再開したい意向ではあるらしいが。

国崎さんは、お母さんの介護で不在。ついに会うことができなかった。残念無念。メールを出しておこう。

目論見では、フォークロアセンターで国崎さんと小一時間、思い出話をして、それからお江戸両国亭に向かうつもりだったのだが、そういうわけで、まだ明るいうちに両国駅前まで戻り、コーヒーを飲みながらこれを書いている。

途中、きれいな飛行機雲が見えた。何かが終わりかけた時、いつも飛行機雲を見ているような気がする。しかしフォークロアセンターには、終わらずに再開してもらいたいと祈る。

 

 

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2008年8月19日

葉月十九日の歌

新しき空き地に生ゆる平成の草は昭和の土を覆ひぬ


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昨日までの涼しさはどこはやら。今日は朝からカンカン照りだ。気温は三十四度まで上がり、遅くなるほどに雷雨の心配が増すという、あまり歓迎できない天気予報である。

酒田の週間天気予報をみると、今日を含めてこれから先、一度も真夏日にならずに済むようだ。向こうとこちらとでは、気温の差が五度ぐらいある。秋は北からゆっくりと近づいてくる。

神田の通りに面して、空き地がある。去年までは事務機関係の店の入るビルが建っていたのだが、取り壊されたままだ。バブル崩壊の頃、地上げされたまま買い手の付かなくなった土地があちこちにあったが、最近では、こういう光景は珍しくなった。

先月、雨の少なかった頃は地面がむき出しに近かったが、近頃、いつも夕立に襲われるので、だんだん草が生えてきた。それでも、都会の空き地は草ぼうぼうにはなりにくいようだ。

 

 

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2008年8月18日

葉月十八日の歌

小夜更けて見上ぐる空に待つまでもなく照りゐたる居待月かな


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夜が更けて帰宅するまで、和歌ログの更新を忘れていた。今日はカメラのバッテリーを入れ忘れて出かけてしまったので、写真を撮ることもできなかったし。

帰宅して、カメラのバッテリーを装着し、表に出てみると、暗すぎて写せるものなど何もない。ふと見上げると、そこに満月を少しだけ過ぎたばかりの月があった。

この月を古来より居待月と言ったらしい。「居る」 は座っているとの意味で、「月の出を立って待つには遅すぎる月」 だからそう呼ぶという。「寝待月」 とも言うとある。

そうか、今日はこの月を写すために、バッテリーを忘れて出たのかと納得した。

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2008年8月17日

葉月十七日の歌

農薬といふもの知らぬミニトマト虫食ふほどのありがたさかな


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昨日とは一転して、秋を感じさせる涼しさになってしまった。天気図をみても、夏の太平洋高気圧は前線の下に下がってしまって、本州は北からの高気圧に覆われている。

ところが、このまま秋になるのかというと、そういうわけでもないらしい。東京の週間天気予報をみると、明日の最高気温が三十度と予想されていて、火曜日からはまた、三十二度とか三十三度とかになっている。

そう簡単には本格的な涼しさは来てくれないようなのである。

写真は我が家の裏の空き地のミニトマト。植えたのは向かいのご主人だが、入会地みたいな感覚で、近所の人が適当にもらって食べている。早く食べないと、無農薬なのでいつのまにか虫の方が先に食べてしまって、ご覧のような虫食い穴になる。

夏の風物を虫と分かち合うのも、なかなかいいものである。

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2008年8月16日

葉月十六日の歌

みちのくの晩夏を離れ坂東の続く真夏の雷鳴を聞く


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昨日夕方に酒田を発って、延々八時間のドライブの末に、つくばの地に辿り着いた。

東北道は西那須野より南は三十キロ以上の渋滞ということなので、矢吹で降りて後は国道二百九十四号線を南下した。

来たときとほとんど同じルートを逆に辿ったことになる。おかげで渋滞にはまったく巻き込まれずに済んだ。

高速道で一寸刻みの渋滞にイライラするより、一般道をスムーズに辿る方が、精神衛生にはずっといい。

庄内は秋が近いことを感じさせたが、関東に戻ってみればまだまだ真夏である。晩夏から真夏に戻ると、暑さがこたえる。

夕方から急に曇って雷が鳴り出した。ざっと一雨来てくれれば、少しは涼しくなるかもしれない。

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2008年8月15日

葉月十五日の歌

早朝の庄内の蝉おづおづと鳴き始めたり休止符多く


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昨夜は酒田の割烹で、高校時代の同窓会に出席。二次会を過ぎて、日付の変わる頃に帰宅し、風呂に入ってそのまま眠ってしまった。

ところがその間に、南庄内では記録的な豪雨に襲われて大変なことになっていたのである。

庄内町では半日に 400ミリという豪雨で、あちこちで床下浸水になっている。昨夜の同窓会に参加した南庄内在住の同窓生は、夜中に帰宅してさぞかし焦ったことだろう。

酒田はあっけらかんと雨があがり、小鳥と蝉の声でさわやかに目覚めた。庄内の朝蝉は、おずおずと鳴き始める。殊勝なもので、あまり人騒がせにならないよう、初めは休止符ばかり多い。

写真は豪雨で増水した最上川。茶色の濁流と化していた。

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2008年8月14日

葉月十四日の歌

旧盆の雨に濡れたる墓石の温もりをりし人肌のごと


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天気予報では、庄内地方は午前は曇り、午後から雨とのことだったが、ウソばっかり。朝からざっと降っては止み、時々カッと日が照りつけ、また思い出したようにざっと降るという繰り返し。晴れ、曇り、雨の、何でもありの天気である。

雨のおかげで、少しは焼け付いた地面の熱気が冷やされたような気がする。気温も、庄内地方は二十九度までしかあがらず、真夏日は避けられるようだ。

朝の晴れ間をぬって墓参りに行ったつもりが、やはり少し降られた。しかし、おかげでお墓の掃除が楽で、タオルで拭いただけでぴかぴかになった。体温に近い暖まり方をした墓石は、不思議なものである。

その後、親戚回りをして、夕方からは高校時代の同窓会である。昭和四十六年卒業組の集まりで、辰年と巳年がほとんどなので 「巽会」 という。なんだか 「や」 のつく業界の団体名みたいという声もあるが、長年これでやってきたのだから、そういうことでいいのである。

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2008年8月13日

葉月十三日の歌

那須の山阿武隈奥羽さらにまた月山越えて庄内の空


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今朝つくばの地を発って、夕方、酒田に着いた。久しぶりで帰省ラッシュのまっただ中のスケジュールになったが、渋滞は思ったよりもひどくなかった。

やはりガソリンの値上がりが響いているのだろうか。

酒田の実家は、相変わらず E-Mobile の電波が入らない。ちょっと場所を変えると、アンテナが三本立つのだが、実家周辺だけが圏外になる。ちょっとストレスである。

酒田は、今日はいい天気だが、下り坂のようだ。明日は夜には雨になり、明後日は雨の中を運転してつくばに戻らなければならないようだ。

明日は天気のいいうちに墓参りに行くことにしよう。それが終わると、酒田の料亭で開かれる同窓会に出席することになる。帰りはタクシーでワンメーターぐらいのところだから、ゆっくりと飲めそうだ。

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2008年8月12日

葉月十二日の歌

おしてる難波の宮はビルを背に民の竈ぞ望みいませる


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今日は大阪に日帰り出張。「真夏の京都と大阪には、できれば行きたくない」 なんて言っていたのだが、先月末の京都、今月の大阪と、大当たりである。

昼頃、新大阪駅に着いてプラットフォームに降りたとたん、思わず口をついて出た言葉が 「うっ、暑っ!」

モワーっとする暑さだ。それでも、京都の焼け付くような暴力的な暑さと比べればなんとか耐えられる。それにしても、真夏の関東と関西は、別の国じゃないかと思うほどだ。

訪問先の近くに、難波神社という立派な神社がある。御祭神は、なんと仁徳天皇という。あの民の竈に煙り立つを喜び給うた仁徳天皇である。せっかくだから、お参りさせていただいた。

「おしてる」 は 「難波」 にかかる枕詞。

仕事はサクサクと進み、思ったより早く帰りの新幹線に乗ることができた。さあ、明日は帰郷である。渋滞をうまく避けて行きたいなあ。

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2008年8月11日

葉月十一日の歌

釣り糸と水面の奥の何を見て魚釣る人はただ座るらむ


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昨日に続いて、今朝方も涼しいような気がしていたが、日が昇るに連れて気温もどんどん上がり、何のことはない、暑い一日になってしまった。

アブラゼミが日がな一日、ジージーと鳴き立てて、夏の感覚をますますもり立てる。それでも、窓を開け放していれば風が通って、辛うじてエアコンをつけずに仕事ができる。

裏の川の向こう岸で、釣りをしている人がいる。二人並んで、スタンドに立てたパラソルの下に座り込み、朝から昼を過ぎてもずっと釣っている。少なくとも六時間ぐらい、ずっと釣り続けている。

釣りというものは、何を見つめて、あれだけ長時間座っていられるのだろうか。

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葉月十日の歌

みちのくを吹き渡る風かきわけて往き戻りたり百四十里


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昨日は早朝四時に起きて家族全員五時に出発。四時間十五分運転して仙台に着き、妻の母の十七回忌に出席した。

そして仕事の都合で、日帰り。つくばの地にたどり着いたのは十時前だったが、そのままばったりと気絶の如き眠りに陥り、十日の和歌日記の更新は日付がかわってからになってしまった。

仙台はほどよく曇りがちで、最高気温が二十五度と、真夏の法事にはありがたい陽気だった。涼しい風も吹いていたし。

今朝のつくばの地も、曇りがちでそれほど暑くない。日本の季節が変わり始めたのかなと思い、天気概況をみると、関西では今日も猛暑が続くという。ああ、夏の西日本は大変だ。

写真は、東北道の国見パーキングから福島盆地を見渡したところ。

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2008年8月 9日

葉月九日の歌

田を揺らすももちよろづの穂となりて夏の日影ぞ姿留むる


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八月もあっという間に九日になってしまった。何だか今年の夏はものすごく短いような気がする。

「短いような気がする」 と言っても、お盆休みはこれからなのだが、そのお盆休みがなかなか強行スケジュールなのだ。

明日の十日は、妻の母の十七回忌で仙台に日帰り。十一日はつくばの地でバタバタと仕事。十二日は、大阪に日帰り出張。

十三日早朝に妻と二人で酒田に行き、十五日に戻ってくる。酒田にいる間も、なんだかんだとスケジュールが詰まっていて、つくばの地に戻ったら戻ったで、またまたなんだかんだと仕上げなければならない仕事に追われる。

田んぼの景色も、なかなかあわただしい。つい三日前には、稲の穂が少しおじぎしてきたぐらいに思っていたが、今日はかなり重そうに垂れ始めている。少し風が強かったので、田の姿が常に揺れ動いていた。

ただ不思議なことに、近頃は、「夏は短いけれど、涼しい秋はなかなか来ない」 という傾向がある。これが、なかなか大変なことなのである。

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2008年8月 8日

葉月八日の歌

異界とはあまたの夏を閉じ込むる電話ぼつくすといふ素通し


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昨夜は自由が丘のマルディグラで、ライブを聴く。詳細は、今日の一撃 を参照。夜が遅くなったので、都内に住んでいる長女の部屋に泊まる。

今朝はさすがに都内からなので、つくばの地からはるばると常磐線を使うよりずっと早く神田に到着。時間つぶしに、スタバで上記リンクの今日の一撃記事を書いた。

写真はスタバのベネシャンブラインドを透かして見える舗道の電話ボックス。ブラインドを閉じないと、店内が大変な暑さになってしまいそうだ。

あの電話ボックスの中は、どんなに暑くなっているだろう。最近は携帯電話を使うので、電話ボックスの中の暑さというのを実感として忘れてしまっている。

あの中に入らなくなって、少なくとも 10年以上経つ。電話ボックスは、中が丸見えの異界である。

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2008年8月 7日

葉月七日の歌

秋に向かふ道しるべ既に立ちたれど我が秋も未だ遠しとぞ思ふ


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今日は立秋。放送などではよく、「暦の上では、もう秋」 なんて決まり文句のようにいうが、それは正しいようで、正しくないようで、微妙なところである。

「暦便覧」 によると、「立秋」 というのは 「初めて秋の気立つがゆへなれば也」 ということになっている。「もう秋」 というよりは、「秋の気配が初めて感じられる日」 といことのようだ。

秋らしい秋が今日から始まるわけでは決してない。「秋に向かう道しるべが立つ日」 ぐらいに思うのが無難だ。二月初めの立春の頃が一番寒いのと同じで、実は今頃が一番暑いのである。

八月二十三日が 「処暑」 という日で、「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」 ということになっているので、それまでは、「陽気」 というのはとどまらず、暑い日が続くと、覚悟しておく方がいい。

というわけで、今日も朝から暑いので、実感的に 「夏の歌」 ということにしておく。

私もまた、先月に五十六歳になってしまったが、まだまだ 「人生の秋に向かう道しるべが立ったのみ」 と思うことにしようと思う。

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2008年8月 6日

葉月六日の歌

稲の穂のよろづ立ちゐるその中にいささ頭を垂れ始むる見ゆ


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久しぶりに朝に晴れ間を見たような気がする。駅に向かう近道は田んぼの中だが、最近穂を付け始めたと思った稲の一部が、既にお辞儀し始めている。

早いところでは今月末には稲刈りを始めるのだから、当たり前といえば当たり前だが、まあ、月日の経つのは早いものである。

ところで、前にもどこかで書いたような気がするが、「稲刈り」 という言葉、私の生まれた庄内地方では 「いなかり」 (もっとも、訛って 「いながり」 になるのだが) という。

コンピュータで文書作成するとき、「いなかり」 と入力して変換キーを押すと、「否仮」 とか 「伊那仮」 とかにしか変換されないので、しかたなしに 「いねかり」 と、変則モードのつもりで入力していたのだが、こちらの方が共通語だったと知ったのはそれほど前のことではない。

今日はなまじ晴れただけに暑くなりそうだ。その上、午後から雨とか雷とか言っているので、気が許せない。

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2008年8月 5日

葉月五日の歌

昨夜より鳴る雷を明けてよりなほ聞きさらに日暮れても聞く


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昨日から大変な蒸し暑さである。今日の東京の最高気温は三十度と予想されていたが、いつの間にか三十二度になっている。

三十二度というのは、昨日より三度も低いが、湿度が高いので、蒸し暑さは今日の方が上だ。

昨夜、帰宅する頃に雨が降り出して、車を降りて玄関に入るまでにかなり濡れてしまったが、その雨粒が少しも冷たくない。空からぬるま湯が落ちてきていた。

そのままの蒸し暑さが一晩中続いて、明け方頃に少し涼しくなった。とはいえ、雷はずっと鳴りっぱなしだ。これだけ鳴って、よくまあ電気エネルギーが尽きないものだ。

「今日は少しは涼しそうだね」 なんて言っていたのだが、朝の八時を過ぎると大変な蒸し暑さだ。そして、東京神田周辺でも雷が一日中鳴っている。時々、もろに近くに落ちたような閃光と 「バリバリ」 という雷鳴に包まれる。

夜に帰宅してもまだ時々雷鳴が聞える。まる一日以上、雷に付き合わされたのは、生まれて初めてだ。というわけで、今日の歌はこの体験そのままである。面白くもなんともないが、こう詠まずにはいられなかったということだ。

明日の天気は曇りで、最高気温は三十度との予報だ。この湿度が少しは下がってくれるとありがたいのだが。

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2008年8月 4日

葉月四日の歌

深々と吸ひて静けく吐く息を整へてこそ夏を忘れめ


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暑い。かっと焼け付くような暑さでもなく、風だって吹いているのだが、外にいるとだまっていても汗が噴き出す。

湿度が高いのだろう。空を見上げてもからりとした晴天ではなく、いかにも夕立を降らせそうな雲に、広く覆われている。

「夏バテに負けない呼吸法」 というのを、「気」 を学んでいる知人に教わった。要するに 「深くゆっくり呼吸する」 ことが大切なのだそうだ。

確かに、暑さにひいひい言っているときというのは、呼吸が表面的で浅くなっている。この呼吸を変えなければいけない。詳しくは、「今日の一撃」 の方に書いておいたので、どうぞ。

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2008年8月 3日

葉月三日の歌

暑き日に川面を渡る風を追ひ車の窓を開けて走りぬ


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今日は本当に本当に久しぶりの完全オフ。久しぶりに朝寝して、九時頃に起きたら、世界が暑すぎてびっくりした。

朝の涼しいうちのひとときを知らずに、いきなり暑い時間帯に一日を始めるというのは、一方で損をしたような気になる。

昼過ぎに、ホームセンターにでかけて買い物。広い駐車場に車を止めて、店に歩くまでの間に汗が噴き出し、頭がくらくらする。うむ、今日のような日に不用意に屋外を歩くのは、危険である。熱中症になってしまう。

帰りは小貝川沿いの土手の道を辿る。さすがに川沿いの道は風が渡る。エアコンを止めて窓を開けて走ると気持ちがいい。水のある風景は救いである。

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2008年8月 2日

葉月二日の歌

思いがけず張りのある声聞こえ来るドライブスルーのスピーカーより


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深夜近くになって、水戸方面からの岐路を辿っている。途中、日付の変わる前に和歌ログの更新をしてしまおうと、国道沿いのスターバックスに寄った。

ここは深夜二時まで営業しているようだ。店内だけでなく、ドライブスルーも結構繁盛している。

車を降りて店内に向かう私の耳にも、スピーカー越しに注文を受ける、思いがけなく張りのある声が聞こえてくる。

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2008年8月 1日

葉月一日の歌

隙間なく田を埋め尽くす稲の背の伸びて早くも穂の見え始む


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昨日も書いたことだが、近頃、少しはしのぎやすい。今日も、東京の最高気温は三十度と予想されている。

三十度で 「しのぎやすい」 というのは、なんだか悲しい気もするが、京都が三十五度になるというのだから、それと比べればまだありがたい。

本当にこの時期になると、東海より西とこちら側とでは、別の国のような気がする。関西で暑さに耐えている人には本当に気の毒なのだが、関東はまだましだ。

田んぼの稲の背が高くなっていて、よくみると、先の方に穂が出かかっている。ふと気付けば、今日はもう八月だ。今月末から稲刈りが始まるところもある。本当に時の経つのは早いものである。

 

 

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