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2008年10月31日

神無月三十一日の歌

敷島の身丈に合わせおづおづとセイタカアワダチソウは咲きをり


昨日ほどではないが、今日も朝から肌寒い。いよいよ秋が深まってきたようで、私もようやく秋冬物のジャケットを着るようになった。

いつも 十月下旬頃までは、秋冬物の総裏のついたジャケットなんか、暑くて着られない。それに、五月半ばから九月下旬までは、半袖ポロシャツである。

考えてみると、私が春夏用のジャケットを着る期間は、四月、五月と十月の三ヶ月しかない。秋冬物のジャケットは、十一月から三月までの五ヶ月間なので、私は一年の三分の一はノージャケットで通しているわけだ。夏向きの男である。

駅までの近道は今、造成中で、まだ手つかずのところは草ぼうぼうである。セイタカアワダチソウも目立つが、一頃ほど我が物顔で生い茂るということもなくなってきた。

さしものセイタカアワダチソウも、日本の風土に合わせて小さくなっているようで、この写真のものなど、五十センチぐらいしかない。バブルの頃の地上げされた土地を埋め尽くしていたセイタカアワダチソウは、確実に私の背丈より高かったが。

日本の自然は、いつの間にか箱庭化してしまうもののようだ。

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2008年10月30日

神無月三十日の歌

北風の頬に冷たき朝となればいぬたでの色やや褪せにけり


今日は朝から肌寒い。最高気温が昨日より五度も低いのだそうだ。頬に当たる風が冷たいと感じる。

だが、このまま秋が深まるのかといえばそういうわけでもなく、明日はまた気温が上がるらしい。三寒四温の逆みたいなものだ。忙しいことである。

駅までの道ばたに、小さなピンクの花が咲いている。それは花というほどでもない小さな点々のようなものだ。

これは、イヌタデという花である。子どものままごと遊びで赤飯に見立てられたりするので、「赤まんま」 という別名もある。

私は花の名前には本当に疎いのだが、和歌ログを五年近くも続けるうちに、このくらいはわかるようになった。歌を詠むのに、いちいち図鑑で調べたりしてきたおかげである。

和歌ログを続けてきて得になったことなんて何もないが、これは収穫の一つである。

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2008年10月29日

神無月二十九日の歌

ひむかしの竹を透かして秋の日は撫でさするごと届き来たれり


取手駅近くに借りている駐車場は、すり鉢の底のような地形にあって、そこからはどこに行くにも上り坂である。

一番の近道は、一番の急坂だ。その急坂に下まではとても細い道を辿るのだが、その左側 (東側) は急斜面の竹林と杉林である。

春の彼岸から秋の彼岸までは、私のいつも通る時間帯でも朝の太陽の位置が高いので、この細道にも日が射すが、今頃の季節になると、完全に日陰になってしまう。

この写真では、左側の林を通り抜けた日差しが右のブロック塀をちょっとだけ照らしているが、こんな光景をみると、秋の深まりを感じてしまうというわけだ。

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2008年10月28日

神無月二十八日の歌

絶叫の輪を空中に描きてぞ安らかならむ今宵の夢は


JR 総武線の水道橋駅を降りて春日方向に向かうと、いつと轟音とともにけたたましい悲鳴が聞こえてくる。後楽園遊園地の絶叫マシンに乗る子たちの悲鳴だ。

昨夜は急に雹が降ってきたりして驚いてしまったが、今日は朝から安定したいい天気である。青空の中に、絶叫マシンのレールや観覧車がそびえている。

今日の青空は、秋空というより冬晴れの空の色に近い。日暮れもずいぶん早くなってしまった。絶叫しまくった子たちは、今夜はぐっすり眠れるだろう。

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2008年10月27日

神無月二十七日の歌

戸口にて家人の帰宅待ち詫びし白猫の背の夜闇に浮かぶ


今日、夜が更けてから帰宅すると、玄関の前に我が家の猫がちょこんと座っている。我が家には猫が二匹いるが、これは年長の白猫だ。もう一匹は年少の黒猫である。

この二匹の猫は、毛の色も性格も対照的である。

年少の黒猫は素直で人なつっこいが、この白猫は、なかなか気むずかしい。ちょっとやそっとでは隙を見せないし、油断すると、猫パンチを繰り出してきたりする。

多分、外に出たまま閉め出しをくって家の中に入れなくなってしまったのだろう。今日は家人は皆出かけていて、開けてくれる者がなかったのだ。

それで、玄関を開けて入れてやろうとするのだが、この白猫はなかなか素直になれない。

「ウ、ウチは、別に入れてくれゆうて、頼んどるんちゃうねんで」 と言わんばかりに背を向けて、すぐには入ろうとしない。

こちらも、この猫の性格はわかっているので、それじゃあとばかりに、玄関のドアを閉めてしまう。するとしばらくして、今度は、庭の方からニャアニャアいう鳴き声が聞える。そこで初めて、ベランダの戸を開けてやる。

白猫は、「ふん、まだ外にいたいねんけど、せっかくやから、入ったるわ」 という顔をして、大いばりで入ってくる。なかなかの気位なのである。

ちなみに、猫が関西弁なのは、「じゃりン子チエ」 と 「動物のお医者さん」 以来の、日本文化である。

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2008年10月26日

神無月二十六日の歌

秋雨に水面 (みなも) 広がる川辺には今朝も真白き鷺の舞ひ来る


金曜日頃の天気予報では、土曜と日曜は概ね天気がいいはずだったのだが、実際にはどんよりとした曇りがちの天気だ。

昨日朝までのまとまった雨で、かなり干上がっていた我が家の裏の川も、水量が戻ってきた。今日もその川に白鷺がきている。魚を狙っているのだろう。

土手の道を散歩しながら、さりげなく白鷺にカメラのレンズを合わせる。あまり露骨に構えると、向こうは警戒してすぐに逃げてしまうから、ススキの影からこっそりと狙う。それでも、向こうはなんとなくこちらを気にしている様子である。

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2008年10月25日

神無月二十五日の歌

月もなき闇に向かひてシャッターを切れば薄の白く瞬く


土曜も日曜もない。今日も帰宅は遅くなり、写真を撮っている暇なんかなかったので、自宅の駐車場の裏手に生えているススキに向かって適当にシャッターを押したら、フラッシュが勝手にいい具合に働いてくれた。

朝からずっと曇り空なので、月も出ていない。たとえ出ていたとしても、今日の月例は二十六・二六。四日後は新月の、とても細い月である。だから、真っ暗である。

真っ暗なので、どのように写るかなんて、さっぱりわからずに写したのだが、ちょっとした弾みで、それなりに味のある写真が撮れるものである。

本宅サイトが、今日、50万ヒットを越えた。ブログの "Today's Crack" はとっくに 100万ヒットを越えている。それに比べて、「和歌ログ」 玄関ページは、まだ 4万を越えたばかり。

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2008年10月24日

神無月二十四日の歌

秋雨に濡れて降り来る街の灯はさほど冷たきものにもあらず


朝からの大雨で、神田で昼飯を食いに外に出たときは、まるで夕暮れのような暗さだった。

帰りの電車はどうなるかと思っていたが、夕方頃から小降りになった。常磐線の快速電車は、ダイヤ通りの運転のようである。

この雨は、南からの湿った空気のせいということで、かなり暖かい。夕べは毛布を一枚取って寝たのだが、それでも寝苦しかった。今の時期、寝具の調整が結構大変だ。

明日からは、またずいぶん長い間いい天気が続きそうだ。行楽日和ということになるのだろうが、私は土曜も日曜もなく、仕事に追いまくられることになる。やれやれ。

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2008年10月23日

神無月二十三日の歌

柿の実は昭和三十年代の色に粉吹き熟れてゆくなり


午前中は本当に天気が良かったのに、午後になったら雨が降ってきた。しかも、予報通りのあまり冷たくない暖かい雨だ。

ようやく季節の変わり目の状態を脱し、本格的な秋になって、天気予報がしっかりと当たるようになってきたようだ。

つくば周辺では、柿が見事に成っている。しかも、大振りが多い。今年は柿の当たり年のようだ。

柿は当たり年になると、とにかくできすぎるほどできる。それで、柿の木のある家の人間は来る日も来る日も柿責めにあって、うんざりすることがある。

私の故郷でも、数年前に柿ができすぎて、コンビニの店頭に山積みにされて 「ご自由にお持ちください」 なんて書いてあったそうだ。

その年、実家に帰ったとき、ありあまった柿をようやく食べ終えたと思ったら、その日のうちに近所から大量のお裾分けがきて、いくら柿好きでもうんざりしたことを思い出す。

柿というのは、昔は干し柿にして冬の間の貴重なビタミン源にしたものだが、今はそんな必要もない。それで、一時に供給過多に陥ってしまう。

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2008年10月22日

神無月二十二日の歌

ターミナル駅に着く頃秋の日は落ちて涼しき夜風吹き初む


日の暮れるのがずいぶん早くなった。夏の頃は、七時過ぎまでに取手駅に着けば、まだ十分に明るかったのに、今はとっぷりと日が落ちている。

近頃は、デジカメの 「夜景モード」 で写すのが上手になった。普通にシャッターを切ると必ず手ブレが生じるので、柱とか何かにカメラを押しつけて固定し、三脚替わりに使うと、こんな感じになる。

写真を写すのには慣れたが、歌が荒れてきているような気がする。最近、ちょっと忙しくて歌に時間をかけていられない。それがてきめんに、歌のできに現われていると思う。

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2008年10月21日

神無月二十一日の歌

空狭し高層ビルの隙間よりふと現るる東京タワー


地下鉄日比谷線の神谷町駅で地上に出ると、外国人の青年に英語で道を聞かれた。東京タワーに行きたいという。

そこで、高いビルとビルの間から向こうをのぞけるところまで、ちょっと 十メートルほど歩いてもらい、 "That's you are looking for."  と教えてあげた。

彼は自分が既に意外なほど目的地にに近づいていたことを知って、驚いたようだった。

昔は東京タワーが周り中から見えて、まさにランドマークの役割を果たしていたが、今はビルに遮られて、見えにくくなってしまった。なるほど、新しい電波塔が必要になるわけだ。

ところで、新しくできるのは、あれ、何という名前に決まったんだっけ? 

「新東京タワー 名称」 のキーワードでググったら、「東京スカイツリー」 だって。ああ、なんだか、こっぱずかしい名前だなあ。

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2008年10月20日

神無月二十日の歌

秋の日は早落ちにけり郊外の駅は水銀灯に染まりぬ


昨夜、デジカメのバッテリーを取り出してチャージャーにセットし、今朝、そのままバッテリーの入っていないデジカメを持って外出してしまった。

しかたがないので、夜の七時過ぎ、取手駅に戻ってからケータイで写してみたのだが、やっぱりまともな写真になっていない。

弘法筆を選ばずというが、慣れないケータイ・カメラでは、全然まともな写真にならない。

昨日の町内一斉草刈りのせいで、筋肉痛である。腰の廻りが痛い。それでも、筋肉を使った翌日に痛みが出るというのは若い証拠と、またもや負け惜しみである。

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2008年10月19日

神無月十九日の歌

この年の最後の草を刈り終へて薄を揺らす風の道開く


今日は町内会の一斉草刈り日。久しぶりで、土曜日曜のどちらも晴天という巡り合わせで、無事に済んだ。

たかが草刈りというなかれ。我が家の辺りは田園地帯の片隅に造成された住宅街なので、自然環境が豊かなのはありがたいが、放っておくと雑草が生茂って大変なことになる。

とくに我が家の裏手はすぐに川の土手だから、その雑草の量たるや、半端ではない。だから、我が町内の自治会では、エンジン付き草刈り機を二十台ぐらい用意していて、総出で草を刈るのである。

公式草刈り日は年間三回だが、その間を縫って二回は自主的に草を刈らないと、周囲がヤブ蚊の巣窟になる。十月中旬から下旬の今回の草刈りをもって終了となる。これから先は、来年の春まで放っておいても雑草はそれほど伸びない。

ということは、今年も残りが少なくなってきたということで、そろそろ冬に向かう準備をしなければならないということである。一年というのは、あっという間である。

今日の写真は、風情のために少しだけ刈り残したススキである。

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2008年10月18日

神無月十八日の歌

天高く深きを見上げ人の世と比ぶる慣らひ既に煩悩


いい天気が続いている。今日は久しぶりにゆっくり休めると思っていたが、やっぱりなんだかんだと急な予定が入って、一日中バタバタしてしまった。

大分前に朱鷺子さんが、ガソリンタンクのキャップをセルフのガソリンスタンドに置き忘れた話 (参照) を書いておられたが、恥ずかしながら、私も同じ事をしでかしてしまったのである。

で、私の場合はもうちょっと事情が複雑で、結果として、キャップの予備が一個できてしまったのだ。詳しくは、こちら を参照いただきたい。

明日は町内会の一斉草刈りだ。明日までは天気がもつらしいので、延期などは避けて、さっさと片付けてしまいたい。

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2008年10月17日

神無月十七日の歌

神田川上れど電気の街色のネオンよ聖橋な潜りそ


今日も朝から心地よい秋晴れ。空気が乾燥しているので、街を歩いても汗をかくこともない。これ以上乾燥するとしんどいから、これがちょうどいい天気だ。

日暮れが早くなった。五時半頃にお茶の水を通りかかると、聖橋がきれいにライトアップされている。こんな風にしているとは、今日の今日まで知らなかった。

ところが、その向こうの秋葉原電気街のどぎついネオンが神田川に映り込んで、ちょっと悪趣味になってしまっている。聖橋の明かりだけなら、かなり風情がある景色なんだろうに。

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2008年10月16日

神無月十六日の歌

車窓には刈田の他に何もなき越後を抜けて今日も帰りぬ


昨夜から新潟入りし、新潟駅近くのホテルで一泊。今日は朝から仕事がトントン拍子に運び、予定通り三時過ぎの新幹線に乗って東京に帰ってくることができた。

あまりトントン拍子に進みすぎて、新潟では写真を撮る暇が全然なく、仕方がないので、帰りの新幹線の窓から、新潟平野の景色を収めた。

新潟平野というのは、ご覧の通り、ただただ田んぼだけが延々と続くところである。

最近は長距離の列車は急行なんてものがなくなって、ほとんど特急だけになったが、学生時代は、帰郷するのに特急券を買う金がなかったので、安い急行を使った。上野から酒田まで、九時間ぐらいかかった。

急行列車の窓から外を眺めていると、上越国境の山を越え、長岡を過ぎてからは、延々と新潟平野の景色が続く。田んぼの他、何もない景色である。しかも、新潟平野は広い。いつまで経ってもこの景色である。

「まだ新潟県を抜けていないのか」 と、四時間ぐらいずっとうんざりしていたのを思い出す。

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2008年10月15日

神無月十五日の歌

雲晴れて秋の光の射し来れば明日の越後も晴れ渡るらむ


西日本は一日晴れ、東日本も昼から晴れという予報。出がけは空が暗かったが、駅に近づくに連れて、雲が薄れて日が差し始めた。

今日は夕方に仕事を終えてから、夜の新幹線で新潟に行く。明日は夕方まで新潟で仕事だ。

新潟の天気予報をみると、明日は一日中晴れ。私が出張する先は大抵天気に恵まれる。ありがたいことである。

今日は夜遅くなって新潟駅前のホテルに泊まり、明日は夕方には帰ってこなければならない。だから、新潟の街の見物はほとんどできないが、まあ、新潟って、あまり見るべきところもないから、いいか。

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2008年10月14日

神無月十四日の歌

露霜の秋深まれば桜木の何処に潜みゐる花の色


朝のうちの天気予報では、東京は夕方から雨と言っていたが、実際には昼頃から本降りになってしまった。ちょっと早すぎたなあ。

写真は我が家から取手駅に向かう途中にある、ちょっと姿のいい桜の木である。春にはきれいに花が咲き、花が散ってからはいい具合の日陰を作る。

霧が出たりすると、とても夢幻的な雰囲気になったりもする。なかなかいいものである。

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2008年10月13日

神無月十三日の歌

肉眼を欺くまでに到らざる光遊びに写真は嵌る


祝日でも仕事は仕事。水戸方面からの帰り道、日が暮れてから食事をした。

駐車場で、今日はまだ一枚を写真を撮っていないことに気付き、デジカメを夜間モードにして撮影。露出時間が長くなるので、車の屋根を三脚替わりにして固定してシャッターを押す。

帰宅して、PC で拡大して眺めて、「今日は一日上天気で、雨なんか降っていなかったよなあ」 と驚いた。

よく見ると、街の灯りが雨に濡れた路面、いや、それどころか静かな湖面にでも映り込んでいるように見えるのは、車の屋根に映っているのだとわかった。

肉眼で見ただけでは気付かない光のいたずらを、カメラは捉えることができる。いや、肉眼ではだまされない光のいたずらに、カメラは容易にひっかかってしまうというべきか。

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2008年10月12日

神無月十二日の歌

カメラもてひた追ふ我を憂き者と思ひゐるらむ許せ白鷺


今朝も裏の川瀬に白鷺が来て餌をあさっている。今日は休日なのでゆっくり眺めていると、時々素早く水の中にくちばしを突っ込み、魚を捕らえている。

土手まで出て、慎重に近付いて大きく写そうとするのだが、ある程度まで近付くと飛んで逃げる。といっても、逃げ去るというほどではなく、ちょっと離れたところまで移動するという程度だ。

白鷺にしてみれば、私の存在がうっとうしい邪魔者に感じられるだろう。それを重々承知の上で、恐縮だが、しばらくそぅっと追いすがってシャッターを押させてもらった。

他人が入ってくると圧迫感を感じる自分の縄張りのようなエリアのことを、「パーソナル・エリア」 という。日本人の平均的なパーソナルエリアは、半径八十センチだと言われる。とすると、白鷺のパーソナルエリア、いや、バードエリアは、かなり大きいようなのだ。

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2008年10月11日

神無月十一日の歌

変わりやすき天気は秋の常なりといまだ緑の木立を見上ぐ


雨が降るとの予報が、降らずに済むに変わり、それでも、やっぱり昼までは雨に再び変わり、ようやく昼過ぎに天気になった。

これだから、秋の天気は気象予報士泣かせである。

それでも、天気が変わりやすいというのは、秋らしい秋といえるのかもしれない。街の木立の葉の色はまだ緑のままだが、北の方から紅葉が見られるようになる。

やっぱり秋である。

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2008年10月10日

神無月十日の歌

古井戸の草生す中に残りをり冷たき水を汲みし子は何処


常磐線取手駅西口が、今再開発途上で、これまであった古い家が取り壊されて、区画整理され、曲がりくねった道もまっすぐに整えられたりしている。

その中で、古い家が取り壊されたままで、まだ区画整理が手に付いていないところがあり、今は草ぼうぼうになっている。

今朝気付いたのだが、その草ぼうぼうのなかに、井戸のようなものがちょこんと残っている。それほど古いものではないようだが、それでも多分、戦前から使われていたものだろう。

今年の二月二十一日には、この近くで水道栓の名残を見つけて写真に撮った (参照) が、今回のはそれ以上に大きく目立っているのに、どうして今日まで気付かなかったのだろう。

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2008年10月 9日

神無月九日の歌

宇宙 (コスモス) といふ名の花の鮮やかに咲けば世界の秋は深まる


昼頃から晴れ間が広がるという予報だったが、ずいぶん前倒しで、朝のうちからずいぶん青空が見えてきた。

駅までの道を車で辿りながら、「今年はちゃんとした秋があるなあ」 と思った。去年は暑い暑い夏がさんざん長引いて、「秋はまだか」 なんて言っているうちに、いつの間にか冬になっていた。

日本も夏と冬しかない大ざっぱな気候になってしまうのかと心配になったが、今年はそれなりに繊細な秋らしい日和がある。よかったよかった。

道ばたに秋桜の花がきれいに咲いている。

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2008年10月 8日

神無月八日の歌

水面を境界となしその奥に広がる世界見る水溜まり


実は今日、とてもすっきりとしたことがある。Wakalog のサイドバーに 「カテゴリー」 が表示してあるのだが、これまではその並び方がでたらめだった。

私は自分の歌を、春夏秋冬の季節ごとのカテゴリーに分けることが多いのだが、これまでは、その春夏秋冬がきれいに並んでいなかったのである。

今日、ふと思い立ってココログのカテゴリーの並べ替えというキーワードでググって見たら、簡単に並べ替えられる方法が見つかって (参照)、その通りにしてみたら、ご覧のように、きれいに 「春の歌」 から順に並べ替えられてしまった。

なんで、もっと早くこの方法に気付かなかったのだろう。朝から雨が降ったり止んだりで、天気はすっきりしないが、心持ちがすっきりした。

写真は、水たまりに映る秋の木立と空。

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2008年10月 7日

神無月七日の歌

見えざりしものに近づきありと知る喜びのため霧はあるらむ


久しぶりで濃い霧の朝である。首都圏ではこの影響で通勤電車に遅れの出たところもあるようだ。

このくらい霧が濃いと、普段見えていたものも見えなくなる。手探りで道を行かなければならなかったりする。

そして、一歩ずつでも進んでいくと、それまで見えなかったものが、ぼんやりと見えてくる。近づかないと見えないのだが、近づいて見えてきた時の喜びは大きい。

確認することの喜びというのは、なかなかいいものだ。その喜びのために霧はあるのだと、以前に思ったことがある。

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2008年10月 6日

神無月六日の歌

振り向けば雲の低きを僅かにも紅染むる秋の夕焼け


夜中からしとしと降っていた雨が、夕暮れ前にようやく止んだ。西の空が茜色に染まって、プチ夕焼けである。

今日は最高気温が二十度にも届かない肌寒さだったが、明日からは一応二十二~二十三度ぐらいになるらしい。あまり一挙に秋が深まりすぎると、体の方がおどろいてしまう。

昨年の秋などは、ちょっと晴れればすぐに夏の暑さに戻ってしまって、十月になっても 「秋はまだか」 なんていた。それを思えば、今年の秋はまだまともだ。

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2008年10月 5日

神無月五日の歌

鱗雲空を覆へる夕まぐれ聞こゆる鐘の音もなきなり


仕事が押せ押せであせりまくった一週間であった。今日、泊まりがけの仕事から帰ってきて、ようやく一段落ついた。

来週からはまた別の仕事にかからなければならないが、今週ほどのめまぐるしさはない。

というわけで、久しぶりでゆっくり風呂に入って寝るとしよう。

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2008年10月 4日

神無月四日の歌

忙しと言ふべきにあらず秋の日は疾く暮れ行くと皆知りをれど


あまり忙しいなんて言うべきではないのだが、実は忙しい。仕事が押せ押せである。私は土日が関係ないので、今日と明日もばたばたである。

写真は田舎ののんびりした風景だが、こんな風景しか撮っている暇がない。

来週になれば少しは落ち着くのだが。

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2008年10月 3日

神無月三日の歌

何事か良きことぞある我が宿の裏瀬に鴨は朝ごと集ふ


二日続けての秋らしいさわやかな朝である。今朝は早起きして名刺を作った。

今月から新しい仕事が増えて、そのための名刺が必要になったのに、今日までぐずぐずしていたのである。

暑くもなく寒くもなく、早起きにはいい季節だ。踊り場の窓から裏の川を眺めると、鴨たちが群れになって泳いでいる。

近頃、この鴨たちがいつも我が家の裏手に群れをなしている。うちの裏手には、どんないいことがあるんだろう。

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2008年10月 2日

神無月二日の歌

半世紀見慣れし色のその青の秋晴れの空我はなほ愛づ


久しぶりにさわやかな秋晴れである。日本列島のほとんどが、秋の移動性高気圧に覆われて、降水確率はほとんどの地域でゼロ・パーセントだそうだ。

夜に帰宅するまで、雨の心配が全く要らないというのは、それだけでありがたいものである。

朝、駅に向かう道で空を見上げると、子どもの頃から見慣れた、「正しい秋晴れ」 の空である。五十年以上見慣れても、なお気持ちのいい空である。

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2008年10月 1日

神無月一日の歌

この秋に初めて落ちし柿の実の霧雨濡らす路地の真中に


一昨日よりは少しだけ暖かい朝を迎えたが、やはり空はどんよりとして、細かい霧雨が、降ると言うより漂っている。

取手駅近くに借りている駐車場から駅に向かう住宅街の小路に、柿の実が一つ落ちていた。こんなものを見てしまうと、秋がずいぶん深まったような気がしてしまうが、明日辺りからもう一度暑くなるらしいから、油断がならない。

カメラを地面すれすれにして、超ローアングルで写してみた。地面に落ちた柿の視線である。

昨日までは枝にぶら下がっていたのだから、世界を見る角度がずいぶん違ってしまっているだろう。

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