見えざりしものに近づきありと知る喜びのため霧はあるらむ

久しぶりで濃い霧の朝である。首都圏ではこの影響で通勤電車に遅れの出たところもあるようだ。
このくらい霧が濃いと、普段見えていたものも見えなくなる。手探りで道を行かなければならなかったりする。
そして、一歩ずつでも進んでいくと、それまで見えなかったものが、ぼんやりと見えてくる。近づかないと見えないのだが、近づいて見えてきた時の喜びは大きい。
確認することの喜びというのは、なかなかいいものだ。その喜びのために霧はあるのだと、以前に思ったことがある。
コメント