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2008年11月30日

霜月三十日の歌

筑波嶺の動かぬ姿望みゐる変はらぬ我と変はり来し我


Wakalog_081130 今日は久しぶりに、どこにも出かけなくていい日である。そうかといって、仕事がオフなのかといえば、そういうわけでもなく、家に籠って仕事をしなければならないという日である。

朝からいい天気で、遠くの山がきれいに見える。少し冠雪した日光の山並みまで望まれる。そして、筑波山は稜線に立つアンテナまで識別できる。(写真をクリックして拡大表示にするとはっきりわかる)

我が家の階段の踊り場から、再び筑波山が望めるようになった。最近まで筑波山の景色を遮っていたケヤキが、切り倒されてしまったようなのである。この間の事情は、一昨年の一月十九日の和歌日記 (この時の写真には、切り倒される前のケヤキが映っている) に書いていて、繰り返しになるが念のため、もう一度記す。

二十六年前にここに引っ越してきた頃は、階段の踊り場から筑波山がきれいに見えた。それがいつの間にか見えなくなって、しばらくは 「おかしいなあ」 ぐらいにしか思っていなかったのだが、そのわけがわかったのは、三年前の初春である。その時の視界は、こんな感じ だった。

我が家と筑波山の直線上にあったケヤキが、いつの間にか大きくなって、筑波山の姿を隠してしまっていたのだ。ところがそのケヤキが二十年ほどの間にさらに成長し、枝の生茂っていた部分がさらに高くなったため、秋から春にかけての葉を落としている季節になると、筑波山の姿が見えるようになったのだ。

そしてさらに、そのケヤキがあまり大きく育ちすぎて手に負えなくなったためか、切り倒されてしまったようなのである。これで、これからは春から秋にかけても筑波山の姿が望めるようになった。

ところが、写真の左側のケヤキが以前より大きくなったので、筑波山の男体山 (二つある頂のうちの、向かって左側) が隠されてしまい、残念なことに頂が二つならぶ姿としては望めない。この左側のケヤキがさらに大きくなってくれればいいのだが、その頃にはまた新たな木が大きくなって、視界を遮るだろう。

高校を出るまでの間に、私の実家は酒田市内で二度引っ越しをしている。さらに大学に入ってから独り身の状態で三度引っ越し、妻と暮らし始めてからまた三度引っ越した。その三度目の引っ越しで、ここに来たのである。

同じところに十年以上続けて住んだことがない私としては、二十数年定住したというだけで、驚異的なことだ。そして、我が家から見える筑波山の姿の変容を語るだけで、その時の流れが偲ばれるのである。

それにしても、私の故郷から見える鳥海山の姿 (参照) と筑波山は、相似形のように見える。私はよくよく頂の二つある山に縁があるようだ。二つの峰は、変わらない私と、変わる私を象徴しているようにも思える。

ちなみに、筑波山の二つの頂の、男体山はイザナギの神で、女峰山はイザナミの神である。陰陽を象徴するといわれ、また神の名前の 「イザ」 に続く 「ナギ」 は 「凪ぎ」 (鎮まり、不動の状態) を、「ナミ」 は 「波」 (変化する状態) を表わすとも言われる。

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2008年11月29日

霜月二十九日の歌

週末の催し終はり天幕の橙の灯は夜風に揺らる


Wakalog_081129 水戸方面に仕事ででかけ、日が暮れてからつくばに戻ってきた。途中で遅い夕食をとった。

ショッピングセンターの駐車場に、大きなテントが立てられている。何か催し物でもあったんだろうか。

テントの下はオレンジ色の電灯が灯されている。オレンジ色の光というのは、なぜかほっとする。春の季節にこうした色の光を見ると、「家々や菜の花色の灯をともし」 (木下夕爾) という句になるのだろうか。

色の名前は季節によっても違ってくる。

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2008年11月28日

霜月二十八日の歌

降り止みし雨の匂ひもせぬ街の並木の色の今朝変はり初む


Wakalog_081128 昨夜来の雨が昼まで降り続き、それから晴れてくるという予報だったが、雨は朝のうちに上がった。そのかわり、晴れてくるのが少し遅れているようだ。

私は夕暮れ少し前に雨が上がったばかりの街並みというのが好きだ。朝のうちに上がってしまったのでは、傘を差さなくてすむのはありがたいけれど、なんとなく呆気ない気がする。

はっぴいえんどの曲に、「12月の雨の日」 というのがある。ここに歌われた情景はとてもいい。今日の場合は、十二月の季節感にはもう既に近いとしても、「水の匂いが眩しい通りに/雨に憑かれたひとがいき交う」 という感じにはちょっと遠い。やはり午後二時を過ぎないと、この感じは出ないかな。

神田周辺のイチョウ並木が少しだけ色づいてきた。自分の和歌日記で比べると、昨年よりはほんの少し遅く (参照)、一昨年よりはずっと早い (参照) ようだ。昨年は猛暑だったが、その分季節のメリハリがついて、黄葉が早かったのだろうか。

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2008年11月27日

霜月二十七日の歌

今日の如く暗く重たき雲の下少年の我は何ぞ思ひし


Wakalog_081127 昨日と対照的な空模様なので、思わず同じ構図で写真を撮ってしまった。重苦しい、まるで日本海側の冬のような雲行きである。

家を出るとき、つくば方面では降っていなかったが、神田駅に着いたときには降り出していた。多少の雨では傘をささない私でも、つい折りたたみ傘を出してしまうほどの、まともな雨だった。

その雨が降り続くのかと思ったら、夕方には止んでしまい、また夜に降り出すらしい。そして明日の午後には晴れるという。めまぐるしい天気である。

関東がこんな具合だと、酒田の方も普通の冬にはならないみたいで、庄内地方の週間天気予報を見ると、時々晴れマークがあったりする。今年はどんな冬になるのだろう。

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2008年11月26日

霜月二十六日の歌

冬晴れの同じき空を家人 (いへびと) はそれぞれの地で見上げゐるらむ


Wakalog_081126 今日は朝からいい天気である。夕方から曇って夜には雨が降るなどという天気予報だが、なかなか曇ってこない。家に帰り着くまで降らないでいてもらいたい。

酒田も珍しく青空が見えているようだ。今の時期の青空は貴重である。しばらくすると、来年の春まで一面晴れた空は望めなくなる。

末娘が生まれて初めての出張とやらで、今月末まで鈴鹿に行っている。全国の天気概況をみると、鈴鹿は一日中晴れのようだ。同じ家族のそれぞれが、同じ青空を別の土地から見上げているだろう。

そろそろ、年賀状を買っておかなければなんてことを考え始めている。昨年の今頃は、母の喪中だったので欠礼の葉書を印刷し終えていた。今年はまた、きちんと年賀状を作ろうと思っている。

週明けはもう、師走だ。今年の暮れはなんだかバタバタと忙しくなりそうだ。できれば、年内に田舎に帰って父の様子を見ておきたいと思っているのだが、どうなるかわからない。

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2008年11月25日

霜月二十五日の歌

金色のボールは街の灯を受けてげに慎ましく光りゐるなり


Wakalog_081125 クリスマスまであと一ヶ月になった。ずっとほぼ缶詰に近い状態の旅の空だったので、浮き世の様子がわからないままだったが、今日クリスマスの飾り付けを間近にみて、ようやくそんな時期になったのだと得心がいった。

昨年は残暑がずっと長引いて、「秋はまだか?」 なんて言っているうちに、ふと気付くと冬になっていたという感じだったので、クリスマスがあまり現実味をもたなかった。今年はきちんとした秋を越した感じがして、その分、クリスマスが近いという気がする。

街に飾られたクリスマスツリーが、今年は小さい。景気のせいだろうか。小さいクリスマスツリーの方が、なんとなく親密な感じがする。

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2008年11月24日

霜月二十四日の歌

刈萱の穂の立ちつくす対岸に籾殻を焼く煙たなびく


Wakalog_081124先週の木曜日からずっと旅の空で、その前には土日でもなかなか家にいられる日がなかったが、今日は久しぶりに休日である。

とはいえ、たまりにたまった仕事を片付けなければならないので、のんびり過ごすことはできない。それでも、ちょっとだけ家の裏の川沿いの土手を散歩した。

すっかり冬の景色である。夜が明ける前から寒いとは思っていたが。確実にこのシーズン一番の寒さである。

薄の穂の立ちつくす対岸に、籾殻を焼く煙がたなびいている。写真ではやや青空が見えるが、昼過ぎには氷雨が落ちてきた。

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2008年11月23日

霜月二十三日の歌

山沿いに雪を降らする雲渡り新嘗祭の日とぞなりたる


Wakalog_081123 今は勤労感謝の日と呼ばれる新嘗祭。

私は先週の木曜日から、旅の空である。今日も今日とて、行き先は茨城県内ではあるが、旅と言って言えないことはない。古河に行ってきた。

古河は茨城県では一番西の端にある市である。栃木県と埼玉県には、歩いてでも行ける。私は茨城県に引っ越してからもずっと、古河市は栃木県なのだとばかり思っていた。

写真は途中の境町付近の利根川土手から対岸を望んだところ。何やら城らしき建物が見える。これは聞いたところではなんとか資料館とかいう公共の建物らしい。北関東辺りの人たちは、割とお城好きである。

問題は、古城なら趣があるが、何とか資料館という名の城は、ちょっと奇異に見えかねないということだ。

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2008年11月22日

霜月二十二日の歌

もみぢ葉の明き心の我が内に宿りゐたるかこの我が内に


Wakalog_081122jpg 九州とはいえ、長崎はいわば日本海側に近い。紅葉が既に始まっていた。

神道の祝詞 (のりと) には、「もみぢ葉の明 (あか) き心」 という言葉が使われることがある。「もみぢ葉の」 は 「明き心」 の枕詞みたいなものなのだろう。

天津祝詞の 「天の斑駒 (ふちこま) の耳振り立てて聞こし召せ」 の 「天の斑駒の」 も、「耳」 にかかる枕詞みたいなものと思っているのだが、どうなんだろう。

いずれにしても、もみじの紅い色は古代から親しまれていたものらしい。

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霜月二十一日の歌

西国の遅き日の出のあかき日の昇り来たれば冬の蒼空


Wakaloog_081121(二十、二十一日はネット接続困難だったため、二十二日にまとめて更新しています)

日本の西の果てに近い地域ともなると、日の出が遅い。つくばの地の一時間遅れぐらいのような気がする。

ホテルの朝食は、ビュッフェ・スタイルで朝七時からだったが、その朝食を終えた頃にようやく日が昇り始めた。その朝日を映そうと思って、急いで部屋に戻り、カメラを用意してきた頃には、ご覧のようにちょっと高く昇りすぎて、窓枠ぎりぎりだった。

天気予報はあまり芳しくなかったのだが、私の出張する先は、大抵こんな風に晴れてくれる。ありがたいことである。

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霜月二十日の歌

冬の日の風車を映すこの国の水は繋がる遠き運河に


Wakalog_081120 (二十、二十一日はネット接続困難だったため、二十二日にまとめて更新しています)

長崎に出張である。で、今回の宿泊はハウステンボスの近くの観光ホテル。滅多にない贅沢である。

ところが、ビジネスホテルなら今や常識の、インターネット接続サービスがない。で、E-mobile も圏外で接続できない。というわけで、私はごくフツーのビジネスホテルの方がありがたいなあと思った次第である。

せっかくハウステンボスの近くなので、夜になってから、ほんの二時間程度だが、園内を散策した。大した期待はしていなかったのだが、思いの外、見応えがある。純粋に観光で訪れたいと思ったほどだが、そんな時間が取れるかなあ。

園内は既にクリスマス用の装飾がしてあって、夜景もきれいだった。写真はライトアップされた風車。

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2008年11月19日

霜月十九日の歌

頂の僅かに白き富士の嶺の筑波の目には真白なりしが


Wakalog_081119 今日は名古屋に日帰り出張。明日からは九州に二泊三日の出張。旅ガラスである。

もしかしたら、九州出張中はインターネット接続の関係で和歌ログの更新ができないかもしれない。その場合は、帰ってからまとめてアップするのでよろしく。

今朝出がけに、つくばの地からも真っ白に雪に覆われた富士山が見えた。てっきり、かなり冠雪しているのだと思っていたが、新幹線で三島付近を通り過ぎると、この写真の程度の冠雪だった。

まるで別の山じゃないかと思うほどの落差だ。

つくば方面から見えるのは、この写真でいえば右斜め後ろのほうからの姿なのだろうから、そのあたりは、この写真よりは少し下まで雪に覆われているのかもしれない。それでもそんなに極端に違うわけではなかろう。

つくばから見える富士山は、よっぽど上の方のちょっとした部分でしかないのだと、改めて認識した。

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2008年11月18日

霜月十八日の歌

黄の花は喇叭となりて地に伝ふ天上に鳴る聞こえぬ楽を


Wakalog_081118

取手駅近くに借りた駐車場の近くにかなり前から、下向きにぶら下がるような形の黄色の花が咲いている。調べてみたら 「エンゼルズ・トランペット」 という花だそうだ。

日本語のサイトでは 「エンゼルトランペット」 との表記がほとんどだが、英語では "brugmansia" といい、通称で "angel's trumpet" というそうだ。とうわけで、私としては 「エンゼルズ・トランペット」 と書かせていただく。

「天使のトランペット」 とは、なかなか魅力的な名前だが、よく調べると有毒なんだそうだ。とくに花の汁が目に入ると猛烈な刺激があり、瞳孔が開きっぱなしになって、最悪の場合、失明することもあるという。

今月五日の 「ヨウシュヤマゴボウ」 といい、案外身近なところに有毒な植物というのはあるものである。

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2008年11月17日

霜月十七日の歌

内裏雛七福神と偕なりて南部を照らし鎮まりゐたり


Wakalog_081117 八戸への出張を終えて、夕方の東北新幹線 「はやて 」に乗った。天気予報では曇り一時雨とのことだったが、ちゃんと晴れてくれて、仕事は滞りなく終了。野外での取材や撮影も必要な仕事だから、晴れてくれるのは本当に助かる。

私は晴れ男なので、出張先では大抵晴れる。予報が雨でも、大体曇りぐらいで済む。曇り一時雨ぐらいだったら、青空だってのぞく。

今回は帰りの新幹線に乗って、出発しないうちにふと気付いたら、窓が雨の滴で濡れていた。この雨は、私が新幹線に乗り込むまで待っていてくれたようだ。ありがたいことである。

八戸というところは、面白いところである。青森県といえばねぶた祭りが有名だが、八戸にも 「三社大祭」 というのがあって、どでかい山車が二十六台出るらしい。

で、この山車は各町内会が出すというのだが、大体五百万円ぐらいかかるという。それを毎年繰り返す。市から五十万円の補助は出るというのだが、そんなものでは到底足りない。残りは各町内で負担する。

「そんな無駄遣いはやめよう」 なんて、誰も言い出さないところが、祭好きの祭好きたる由縁のようで、毎年夏の本番が近づくと、一週間ぐらい徹夜で作り上げるらしい。好きでなければ、到底そんなことはできない。

八戸駅の隣の 「ユートリー」 という建物に、その山車が展示されている。「おいおい、本当にこれを一台のトラックに乗せて動かすのかい」と言いたくなるほどの大きさだ。写真でその大きさがわかるだろうか。

八戸というところは、ちょっとすごいところである。

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2008年11月16日

霜月十六日の歌

南部なる深き闇より漂へるいにしへの香を僅かにきかむ


Wakalog_081116 夜の九時を過ぎて八戸のホテルに着いた。さすがに遠い。東京から仙台までの倍ぐらいある。

東北新幹線で八戸駅に着き、八戸線に乗り換えて二つ目の本八戸駅からホテルまでは、歩いて十五分ぐらいと聞いていた。ところが、八戸駅を出たところで電車が動かなくなった。

遮断機が下り駆けた踏切に無理矢理進入した乗用車が閉じこめられそうになり、あわててバックしたために、遮断棒が降りなくなってしまったんだそうだ。まったくもう、困ったものである。

おかげで三十分ぐらい遅れてホテルに到着。ホテルまでの道は、繁華街かと思っていたが、やっぱり地方都市の常で、不安になるぐらいの寂しさだ。おまけに、小雨が降っている。まあ、仕事の本番は明日だから、明日になってから止めばいいや。

途中に 「南部会館」 というなにやら重厚な歴史を感じさせる建物がある。写真がその門だ。八戸市の文化教養センターで、集会などに使用できるらしい。ふうむ、なかなかいいなあ。

もう少し時間があったら、ゆっくり見物したいところだが、明日は仕事が終わったらすぐに新幹線に乗らなければならない。

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霜月十五日の歌

南天の赤々き実の粒ごとに淡き日射しぞ宿り光れる


Wakalog_081115 昨日はイーモバイルの電波の入りにくいところにいたので、一日遅れで更新させていただく。

車を運転していると、途中で見事な赤い実の成った木を見つけた。南天だと思うのだが、私の実家の庭に生えている南天と、実の付き方がちょっと違うような気もする。

しかし、これが南天でないとなると、何だかわからないので、ここは南天ということにさせていただく。

赤い実の成るのは、別に秋に限ったことではないのだろうが、やはり、秋から初冬にかけての季節がよく似合うと思うのだ。

今日はこれから、青森県八戸に向けて出発だ。ちょっとだけ先の方の冬を、先取り体験することになる。

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2008年11月14日

霜月十四日の歌

冷え冷えと低き角度に久方の光を受くる街の谷あひ


Wakalog_081114 素晴らしい快晴は一日だけで、今日は朝のうちはまたどんよりした曇り空だったのである。

天気予報では、茨城県県南部は晴れ、東京地方は晴れ時々曇りとなっていたので、「もう、ウソばっか!」 なんて思っていたが、昼近くになってからずいぶん青空が広がってきた。まんざらウソでもなかったようだ。

東京神田の路地から見上げる空は狭い。つくばの空とは比べものにならない。その狭い空の雲がだんだんと薄くなり、切れ間が見え、青空の部分が増してきた。

冬の日差しは、真昼でも低いので、日陰の部分が大きい。夏の写真のコントラストは、日差しの強さで生じるが、冬の場合は日差しの角度で生じる。

そして、故郷の庄内ではコントラストという言葉さえ無意味なほど、すべてをホワイトアウトさせる地吹雪がやってくる。

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2008年11月13日

霜月十三日の歌

かぎろひの小春日和を外壁のガラスに映し蒼きビル立つ


Wakalog_081113 関東は久しぶりの青空だ。自分の和歌日記をたどると、まともに晴れたのは先週の六日以来だから、一週間ぶりの青空ということになる。

晴れてみれば、これぞ小春日和。これを小春日和といわずして、ほかに小春日和はないというほどの小春日和である。

昨日は初めてコートを着て外出したが、今日はコートなし。下手にコートなんか着ると、電車の中で暑くて堪らなくなる。電車というのは、夏に凍え、冬に蒸される乗り物である。エアコン効き過ぎだ。

今日の写真の正面のビルが青く見えるのは、ガラス仕立ての外壁に青空が映っているから。下と左の方には、向かい側のビルが映っている。

ちなみに、今の時期のいい天気の日を 「小春日和」 というのは、旧暦十月 (神無月) の異名を 「小春」 というから。今日は旧暦では十月十六日で、まさに小春。

「かぎろひの」 は春にかかる枕詞で、すっきりとした 「小春」 には不適かとも思ったが、ビルの外壁に映る像をかげろうのようなものと思えば、かえって趣かと思いなおし、採用。

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2008年11月12日

霜月十二日の歌

散り落ちし薔薇の花弁の血の色の天女の舌を吸ふ冬の空


Wakalog_081112_2 仕事に出るときは、家から車に乗り、常磐線取手駅の近くに借りている駐車場まで行く。そこに車を停めて、駅までの道を歩く。

近頃はちょっと寒々しい曇り空が続いて、景色がほとんどモノトーンぽくなっているのだが、今日は駐車場に敷かれた砂利の上に、薔薇の花弁が一枚落ちていた。

駐車場の隣の家にちょっと背の高い薔薇の木があり、散った花びらが駐車場に落ちることがあるのだが、見かけるのはくしゃくしゃにしおれたのがほとんどだ。この花びらは散ったばかりのようで、まだみずみずしい。モノトーンの中の薔薇色は、なまめかしいほどだ。

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2008年11月11日

霜月十一日の歌

五十年立ち続けてはこの冬も夜空に浮かぶ東京タワー


Wakalog_081111 「あれ? 今日の写真は小さいな」 と思われたかもしれない。実は、きょうからブログ本文に掲載する写真はサムネールとし (それにしてはちょっと大きいが)、クリックすると大きなサイズで表示されるという設定にした。

せっかくそういう設定にしたのだから、もう少しましな写真を撮りたかったのだが、忙しすぎて写真どころじゃない。仕事の帰りがけに、辛うじて地下鉄神谷町駅の近くで東京タワーを撮れた。

いい写真が撮れた時だけ、大きなサイズで表示できるようにしようかとも思ったが、それだと設定がダブル・スタンダードになってしまい、面倒だ。出来具合に関わらず、大きく表示するというのは、私が図々しいからでは決してなく、面倒くさがりだからと思って頂きたい。

日が暮れると、風が頬に冷たい。近いうちに、街で聞こえ始めるクリスマスキャロルが、上滑りな感じにならなければいいのだが。

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2008年11月10日

霜月十日の歌

庄内の冬の走りを思はする冷たき雲を見上げゐる朝


このところ、秋らしいというか、もう晩秋というか、あるいはそろそろ初冬といっていいのか、そんなような肌寒い日が続いている。

庄内平野の冬の走りを思わせる。庄内で今の時期に、晴れた青空が広がったら、それはもう来年の春までの見納めだ。

というわけで、今日からはカテゴリーを 「冬の歌」 ということにさせてもらおう。立冬も既に過ぎたことだし。

ただ、急に陽気が逆戻りして暖かくなったら、その日だけは 「秋の歌」 にしないとも限らないが。

朝、取手駅西口のペデストリアンデッキから南の方角を望んだ写真である。冷たい曇り空だ。木曜日頃には晴れて気温が少しは上がるらしい。その時に 「秋の歌」 としたくなるほど上がるかどうか、それが問題だ。

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2008年11月 9日

霜月九日の歌

街路樹の紅く染まりて散り初むる葉ぞ音もなく舗道を撫づる


今日、水戸のあたりを車で走ったら、街路樹が見事に色づいていた。さすがに、茨城県の真ん中より北の街である。

車の中からちょいとシャッターを押した時には、銀杏だとばかり思っていたのだが、改めて写真をみると、銀杏にしては妙に紅い。何の木だったんだろう?

東京都内の銀杏並木は、まだ全然緑色のままで、年が押し迫らないと黄葉しない。年末年始の休みが明けて、久しぶりに都内に出ると、銀杏がすっかり落葉していたりする。

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2008年11月 8日

霜月八日の歌

暖冬か平年並みと告げられし冬既に立ち猫はまどろむ


今日は久しぶりで少し余裕のある休日。仕事部屋の机の周りと書類棚を、軽く整理した。今のうちに少しずつ手を付けておかないと、年末の大掃除が大変なことになる。

外はかなり冷え込んでいて、まるで冬のようだ。そういえば、忘れているうちに過ぎてしまったが、昨日が立冬だったのだ。

二十四節気のうち、「立~」 と名の付くものは、その季節が近付いているということを現わしていて、「立冬」 とはいえ、その日から冬らしい冬になるというわけではない。立春なんていうのは、一年で一番寒い時期である。

今年の秋は、昨年と比べて秋らしい秋が長く続くと思っていたが、立冬になったとたんにこの寒さだ。もしかしたら、冬らしい冬になるのだろうか。

気象庁の季節予報を調べたら、十一月から一月までの三ヶ月間の気温は、平年より高い確率と平年並みの確率がどちらも四十パーセント、低い確率が二十パーセントとある。ということは、平年並み以上の気温になる確率が八十パーセントということだ。

だが、気象庁の季節予報は外れる確率の方がやや高い。ということは、寒い冬になる覚悟も、ちゃんとしておく方がいいということだ。

我が家の二匹の猫のうち、年下の方の黒猫が、私が書類整理をするのを、ベッドカバーの上に丸まって眺めている。

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2008年11月 7日

霜月七日の歌

晩秋の高く冷たき雲の下 如何に歩めど一歩づつなり


天気予報の言っていた通り、昼過ぎから晴れてきたが、朝のうちは寒々とした空模様だった。

駅に向かう道で空を見上げると、秋から晩秋に向かう時期に特有の、高く暗い雲にびっしりと覆われている。ちょっと荒涼とした景色である。

今日から半袖の下着を着ることにした。機能までは素肌に直接シャツを着て、その上にジャケットを重ねていたが、さすがにちょっと肌寒い気がしてきた。

午後は晴れても、夕方からはまたぐっと冷え込むらしい。この選択は正しかったと思う。

来週の日曜日に青森県八戸に行き、その翌週水曜日は名古屋に日帰りして、翌日には九州に飛ぶことになった。またまた旅の空になる。

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2008年11月 6日

霜月六日の歌

柿の実の枝にて赤き色のまま変はらむとする世界幸へ


米国の大統領選挙は、バラック・オバマ氏の圧倒的な勝利に終わった。四年前の秋、米国のリベラルたちは 「米国のほぼ半数は、ブッシュを支持したわけじゃない」 と言い訳し、世界に謝った (参照)。

今年、彼らは世界に謝らなくて済む。それどころか、堂々と胸を張ることができる。おめでとう、アメリカ。

朝、駅までの道を道を辿ると、柿の実ずいぶん長い間、赤いままで枝に鈴なりだ。今は、柿の収穫をする人もいなくなった。

自分の家の庭で柿が成っても、スーパーで買った柿を食べる人もいるという。世界は今、大きく変わろうとしているのにね。

今日の和歌の結句の読みは 「せかい さきはえ」  - 念のため。

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2008年11月 5日

霜月五日の歌

舌の端にざらざらとして酢き味のぐみ食みをりし秋の日を思ふ


常磐線取手駅西口の再開発で、建物はつぶしたものの土地の造成に手のついていない区域は、雑草だらけで放置状態だ。

その中に、ちょっと目立つ姿の草の実がなっている。一体なんだろうと調べたら、「ヨウシュヤマゴボウ」 (洋種山牛蒡) というものだとわかった。

草全体に毒があって、食べると嘔吐や下痢が起こり、最悪の場合は呼吸障害や心臓麻痺で死に至ると書いてある。

みそ漬けなんかの、いわゆる 「山ごぼう」 とは、全然無関係だという。これの根っこがゴボウになるというわけではないらしい。そりゃそうだろう。

昔、秋になると中学校の便所の裏山に 「ぐみ」  が成って、これをよくつまんで食べていた。酸味と渋みのミックスしたような味で、それほどおいしいものでもなかったが、食べられるものなら何でも口に入れたい時期だった。

今の子どもは、別に 「毒だから食べないように」 なんて教えてあげなくても、道端の草の実を食べようなんて、発想すらないんだろうなあ。ましてや、便所の裏のぐみなんてね。

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2008年11月 4日

霜月四日の歌

街の灯を一筆書きに書き流し滲むが如く秋の夜は更く


昨日までの三連休を、たまった仕事を仕上げるのに費やして頭がぼやけてしまった。

それで、早めに家に帰ろうと思ったのだが、近頃は四時半を過ぎるとあっという間に日が暮れる。取手駅に着いた頃には、もうすっかり夜だ。

今日は一枚も写真を撮っていなかったことに気付いて、駅前の景色を夜景モードで適当に写したら、見事に手ブレした。

思い直して、建物の柱にカメラを固定してしっかりと撮り直したのだが、どうも手ブレした写真の方が面白い。それで今日はこんな写真である。

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2008年11月 3日

霜月三日の歌

白鷺の立てる水面を行く鴨のふいに潜りぬ魚のあるらむ 


今日は朝から曇りがち。ずっと晴れの天気が続いたので、いくら文化の日が晴れの特異日といっても、どうかと思っていたが、さすが、雨は降らずにもちそうだ。

年寄りに聞くと、「十一月三日の明治節といえば、昔は小学校の運動会と決まっていたが、雨が降ったという記憶がない。さすが、明治天皇様の御威徳だ」 という。

確かに、降らない。大したものである。

裏の川に飛んでくる白鷺が、このところの冷え込みで、冬の姿を見せ始めた。片足で立ち、首を背中の上にたたむように乗せて休むスタイルである。

とはいえ、そばに魚を追って鴨がやってくると、縄張りを主張するようにきっとして身構える。鴨はある程度距離をおいたところで水に潜り、魚を捕まえる。白鷺も思い出したように頭を水に突っ込み、魚を捕らえたようだ。

人の目には見えないが、水面下には結構魚が泳いでいるようだ。

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2008年11月 2日

霜月二日の歌

この空の広さに見とれふと我に返ればかくも深き秋なり


世間は三連休だが、私は昨日からバタバタである。この連休のうちに仕上げなければならない仕事がたまりすぎだ。

ちょっと息抜きに、裏の土手に出てみたら、空は悲しくなるほどのきれいな秋晴れである。いかにも秋らしい筋雲がたなびいている。

つくばに住むことの最大のメリットは、この空の広さだろう。関東平野のど真ん中の強みである。

もし空の広さに値段がついたら、この辺りの土地は都心よりもずっと高くなってしまうだろう。その意味では、ここら辺りはとんでもない贅沢なところである。

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2008年11月 1日

霜月一日の歌

郊外の秋の夜闇を真直ぐにぞヘッドライトは切り裂きて去る


今日から十一月。十一月の声を聞いてしまえば、年末まではあっという間だ。しばらくすると、街にクリスマスソングが流れ始める。

日付の変わるちょっと前に帰宅した。今日もあわただしくて、写真なんか撮っている暇がなかったので、帰りがけにつくばのサイエンス大通りのラーメン屋に寄ったときに、辛うじて通りを行く車のヘッドライトを写してみた。

サイエンス大通りというのは、二十三年前のつくば科学万博の時に、会場に続く道路として作られたのでこの名前がある (のだと思う)。

万博の頃は、つくばの街も今よりずっとのほほんとしていたなあ。

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