霜月三十日の歌
筑波嶺の動かぬ姿望みゐる変はらぬ我と変はり来し我
今日は久しぶりに、どこにも出かけなくていい日である。そうかといって、仕事がオフなのかといえば、そういうわけでもなく、家に籠って仕事をしなければならないという日である。
朝からいい天気で、遠くの山がきれいに見える。少し冠雪した日光の山並みまで望まれる。そして、筑波山は稜線に立つアンテナまで識別できる。(写真をクリックして拡大表示にするとはっきりわかる)
我が家の階段の踊り場から、再び筑波山が望めるようになった。最近まで筑波山の景色を遮っていたケヤキが、切り倒されてしまったようなのである。この間の事情は、一昨年の一月十九日の和歌日記 (この時の写真には、切り倒される前のケヤキが映っている) に書いていて、繰り返しになるが念のため、もう一度記す。
二十六年前にここに引っ越してきた頃は、階段の踊り場から筑波山がきれいに見えた。それがいつの間にか見えなくなって、しばらくは 「おかしいなあ」 ぐらいにしか思っていなかったのだが、そのわけがわかったのは、三年前の初春である。その時の視界は、こんな感じ だった。
我が家と筑波山の直線上にあったケヤキが、いつの間にか大きくなって、筑波山の姿を隠してしまっていたのだ。ところがそのケヤキが二十年ほどの間にさらに成長し、枝の生茂っていた部分がさらに高くなったため、秋から春にかけての葉を落としている季節になると、筑波山の姿が見えるようになったのだ。
そしてさらに、そのケヤキがあまり大きく育ちすぎて手に負えなくなったためか、切り倒されてしまったようなのである。これで、これからは春から秋にかけても筑波山の姿が望めるようになった。
ところが、写真の左側のケヤキが以前より大きくなったので、筑波山の男体山 (二つある頂のうちの、向かって左側) が隠されてしまい、残念なことに頂が二つならぶ姿としては望めない。この左側のケヤキがさらに大きくなってくれればいいのだが、その頃にはまた新たな木が大きくなって、視界を遮るだろう。
高校を出るまでの間に、私の実家は酒田市内で二度引っ越しをしている。さらに大学に入ってから独り身の状態で三度引っ越し、妻と暮らし始めてからまた三度引っ越した。その三度目の引っ越しで、ここに来たのである。
同じところに十年以上続けて住んだことがない私としては、二十数年定住したというだけで、驚異的なことだ。そして、我が家から見える筑波山の姿の変容を語るだけで、その時の流れが偲ばれるのである。
それにしても、私の故郷から見える鳥海山の姿 (参照) と筑波山は、相似形のように見える。私はよくよく頂の二つある山に縁があるようだ。二つの峰は、変わらない私と、変わる私を象徴しているようにも思える。
ちなみに、筑波山の二つの頂の、男体山はイザナギの神で、女峰山はイザナミの神である。陰陽を象徴するといわれ、また神の名前の 「イザ」 に続く 「ナギ」 は 「凪ぎ」 (鎮まり、不動の状態) を、「ナミ」 は 「波」 (変化する状態) を表わすとも言われる。
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