猫じゃらし揺る
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百年余経ては歴史となりにけり千秋の思ひ紅葉と染めて
朝に秋田のホテルを出て、ちょっと千秋公園を散策し、11時前のこまち号に乗った。夕方からの会議がなければ、もっとゆっくり見物したかったのだが。
千秋公園は、久保田城跡の公園。佐竹藩ゆかりの神社などもある。名前の由来をインターネットで調べると、秋田出身の漢学者、狩野良和が秋田の 「秋」 に長久の意の 「千」 を冠して命名したとするページが多いが、「千秋苑」 という和菓子をつくっている 「お菓子のくらた」 のサイトには次のようにある。(参照)
明治二十五年、市が佐竹家より借入れて公園を経営したあと、同二十八年に県に移管され、その際、狩野良知の撰によって佐竹義生が千秋公園と名づけました。
中国の故事から千秋万才の意をとり「千秋公園の長久なるべきを祝し、かつ秋の字は秋田の地名にも縁があるので名づける」とされております。
いずれにしても、狩野良和が関与していたことに間違いないが、明治の半ばを過ぎてからの命名のようだ。意外に新しい話のように思うが、よく考えればもう百十七年前の話である。東北の歴史は、年代不詳か、さもなければ案外新しい話というのが多い。新しくても十分 「歴史」 っぽいところが、東北の良さである。
佐竹家というのは秋田の殿様で、徳川の時代になってから、水戸から秋田に遷封された。だから茨城と秋田は縁があって、秋田市と常陸太田市が姉妹都市になっている。ちなみに佐竹家が出てからの水戸藩主は、あの黄門様である。
その昔、佐竹候が秋田に移る際に、茨城中の美人を連れて行ってしまったので、それが後の 「秋田美人」 に繋がり、茨城県にはべっぴんの血筋が絶えたなどというまことしやかな説がある。もちろんウソに決まっているが、下手すると信じてしまいそうになるほど、秋田には美人が多い。(茨城の現状については、あえて触れない)
ところで、千秋公園は紅葉が始まっていてとてもきれいだったのだが、なぜか写した写真がごっそりと消えてしまっていた。前に富山に行ったときこんなことがあって、後で復元ソフトでなんとか復活させたのだが、ノート PC の方にはそのソフトを入れていないので、どうしても取り出せない。
それでしかたなく、昨日写した車窓の写真で代用させてもらうことにする。だから、今日のタイトルは 「千秋公園」 なのに、写真はそれとは関係がない。
さすがに秋田は、私の郷里の酒田よりもさらに百キロ近く北に位置するので、紅葉も早いようだ。
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みちのくの山を横切る単線の新幹線に秋の日ぞさす
出張で秋田に来ている。今朝早く、上野から秋田新幹線の 「こまち号」 でやってきた。
ところが、秋田新幹線というのは、新幹線とは名ばかりで、在来線なのだった。踏切だってあるし、山のなかをひたすらのろのろと行く。 そして、そもそも単線である。
盛岡駅を出たとたんに、大釜駅という無人駅に毛が生えたようなところで、反対方向に向かう上り列車を先に通すための待ち合わせをする。 新幹線でそんなことをするなんて、唖然とした。
要するに、東京を出るときに東北新幹線の 「はやて」 と連結されていて、盛岡で分かれるので、乗り換えの手間がいらないというだけの話だったのだ。そんなこととは、知らなかった。
しかし、しばらく行くと、周囲の紅葉がきれいで、のんびり行くのもいいものだと思えるようになる。 発想の転換が自然に行われる。 景観の力は偉大だ。
そして、天気は曇り時々雨なんて言われていたが、ご覧のように、ちゃんと晴れた。写真はこまち号の車窓から撮ったもの。晴れ男であることはありがたい。
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菊の花の数ふ能はぬ花びらの花びらごとの秋の深まり
我家の裏手に菊の花が咲き乱れている。これは観賞用というより食用の菊のようだが、菊の花を食べるという習慣の薄い関東では、誰も食べようとしない。
一度だけ、妻に頼んで料理してもらったが、菊の花のこなし方に慣れていないので、あまりおいしくできなかった。酢の味をしっかりいかさないと、もっさりした食感にしかならない。
庄内では菊の花をよく食べる。一番おいしい品種を 「もってのほか」 という。紫色の菊で、正式には 「延命楽 (えんめいらく)」 という品種らしいのだが、皆 「もってのほか」 という。
天皇家の御紋章である菊を食うのはもってのほかだからなどという説があるが、本当のところは誰も知らない。
Autumn goes with the appearance
Of each petal of chrysanthemum
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早足でただ行き過ぐる駐車場に千日草ぞ咲きて散らざる
仕事の帰りに寄ったショッピングセンターの駐車場の花壇に、千日草が咲いていた。長い間咲き続けるので千日草 (センニチソウ) というと聞く。
千日紅 (センニチコウ) というのはまた別の花のことかと思っていたが、千日草と千日紅は同じものだと、今日知った。いつまでも鮮やかな紅色が残るので千日紅ともいうらしい。
まあ、千日となると三年近くも咲き続けなければならないので、実際は一年草の千日草には不可能なのだが、確かに夏から秋まで、ずいぶん長い間咲き続ける花である。
We only pass through a wide parking lot
While globe amaranths don't see their upshot
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出羽の秋どの山の端も点描のごと柿色に彩られをり
この和歌ログでは、極力当日の写真を使うようにしているのだけれど、年に二度か三度は、前日や前々日の写真を使うことがある。今日のは昨日の写真だ。
昨日、昼頃に酒田を発ってつくばに帰ってきた。なるべく早く着きたいので、昼食はコンビニでおにぎりを買い、運転しながら食べてしまおうと思っていたのだが、途中にセブンイレブンがない。
私の妻は、おにぎりを買うならセブンイレブンという信仰に近いまでの思いこみがあって、途中で他のコンビニがあっても、「次のセブンイレブンで買いましょ」 と言う。そうこうしているうちに、午後の二時を過ぎてしまい、国道十三号線を上山まできてしまった。
そうなると、道をちょっとはずれたところに、原口そばやがある。山形の田舎そばの雄である。「原口そばを食うために、セブンイレブンがなかったんだ」 と勝手に解釈して、二年ぶりぐらいに立ち寄ることにした。
今回の帰郷は、アルケッチャーノと原口そばやに寄れたので、胃袋的には大満足である。で、この写真は原口そばやの駐車場近くの、柿の木である。山形は今、どこに行っても懐かしい柿色に彩られている。
Foot of every mountain in Dewa country is colored
By persimmons in the way of pointillism
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庄内の刈田に群れて白鳥は落ち穂を拾ふこの秋もまた
酒田の最上川河口に、今年も多くの白鳥がやってきた。河口の 「スワンパーク」 は、鳥インフルエンザ対策のために、立ち入り禁止になっている。
しかし白鳥たちは、日中は落ち穂を拾って食べるために、庄内の田んぼに出張するので、スワンパークだけを立ち入り禁止にしても、あまり意味はないように思えるがなあ。
というわけで、庄内の刈田は白鳥たちの天国になる。写真の白く見えるのは、みな白鳥だ。知らない人が遠くから見ると、刈田にレジ袋が散在しているのだと思ってしまうらしい。近寄ってみるとそれがすべて白鳥なので、驚いてしまう。まさか、田んぼに白鳥の群れがいるとは思わないから。
まあ、庄内というところは不思議なところである。
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湿りたる算盤の珠今の世に元禄の音を響かせ給へ
今日は旧鐙屋 (あぶみや) を見学した。鐙屋は江戸時代に西回り航路終着地である酒田湊で最大の廻船問屋で、その繁盛ぶりは井原西鶴の 『日本永代蔵』 にも紹介されている。
『日本永代蔵』 が世に出たのは貞享五年で、この年は元禄元年でもあるから、江戸期前半にはもうすっかりその地位を確立していたもののようだ。芭蕉が 『奥の細道』 で訪れた際にも、ここに長逗留している。(もっとも 「あふみや」 という記載のため、「近江屋」 であるとの説もある)
今は国指定史跡になっていて、三百十円の入館料を払って中にはいると、観光用にきちんと整えられている。私が高校時代に出入りしていた頃は、古ぼけた薄暗い商家造りだったが、手を入れ直して修復したもののようだ。
高校時代に出入りしていたのは、当時、ここに労音の事務局が間借りしていたからである。あの頃は、田舎の町では労音にでも入っていないと、まともな音楽を聞く機会がものすごく少なかった。私はちょっとおませな高校生だったのである。
当時とはずいぶん様変わりしてしまったものだが、館内の解説はいかにもおざなり過ぎる。ちゃんとした学芸員が関わっているとは到底思われない。残念だなあ。
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みちのくの背骨の山を越え来れば日々草は日々に咲く
田舎に帰ってきている。八時につくばを出発して、一時に到着。高速道路の割引で、どこまで行っても千円なので、最初から最後まで高速で走ると、五時間で来れるのだった。
高速道路はあまり好きではなく、両端を一般道にすることが多いので、それだと六時間以上かかる。それでも、千円で行けるとでもいうのでなければ、一般道を交える方が楽しい。
今日は日本海側に抜けたら急に暖かくなった。庄内も時ならぬ暖かさで、半袖で十分の暖かさである。
実家に帰ったら、庭に日々草が咲いていた。親類や知人が来て、いろいろな花を勝手に植えていってくれるのだそうだ。おかげで、私の実家は花が絶えない。
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坂東の刈田の色を包みゐし朝霧薄れ日は昇り来たり
本当に名古屋というところは絶妙に位置にあって、ちょっと早起きすれば十分に日帰り出張ができてしまう。おかげで、名古屋城も見物したことがないし、市内をまともに歩いたこともない。
いつも名古屋駅周辺の会議室で会議に出席し、そのままとんぼ返りだ。昔、よく一宮に出張していた頃も、名古屋は素通りして一宮に行き、夜に名古屋駅周辺のビジネスホテルに一泊して、そのまま帰ってくるというパターンが多かった。
名古屋というところは、このままずっと、ゆっくりすることができない土地なのかも知れない。
写真は早朝に出かけたときの、つくば周辺の朝霧の風景。
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その昔海にてありしかこの街は或ひは破戒僧の歩きをりしか
証券取引所のある兜町の最寄り駅は、地下鉄の茅場町である。私は普段、兜町なんていうところには、全然用事がなくて、時々行っても単に通り過ぎるだけなのだが、地下鉄茅場町駅で降りることは時々ある。駅をはさんで反対側の、新川方面に行くときだ。
新川の辺りも、とくにバブルの時期以後はビルが建ち並んで、あまり面白みのない街になってしまった。
この両側にビルが迫る川は、なんと、隅田川である。なんとなく違和感だが、まあしかたがない。もう少し遡ると、水天宮などのある辺りになるが、この辺になるとこんなものだ。それでも路地を歩くと、ところどころに昔の面影が残っている。
「隅田川」 「面影」 と続くと、歌舞伎の 「隅田川続俤」 (すみだがわごにちのおもかげ) という芝居を思い出す。普通は 「法界坊」 という方が馴染みがあるだろう。昔は破戒坊主がこの辺りを肩で風切って歩いていたのだろうか。当時は、この辺りは海だったろうか、いやぎりぎりで陸地だったろうか。
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駅前のねぐらは消えて椋鳥は何処の木々に宿を取るらむ
昨日の夜、取手駅に帰ってきたときには暗くて気付かなかったのだが、今朝見て驚いた。駅前ロータリーの立木の枝がすっかり刈り払われて、青々と繁っていた葉が消えてなくなっていた。
これは多分、ムクドリ対策なのだと思う。この大きな立木を数千羽というムクドリがねぐらにしていて、毎日夕方になると戻ってきて、けたたましい鳴き声を響かせ、辺り一面に糞を落としまくっていた。
業を煮やした市側が、「ねぐらなんて、あるからいかん」 とばかりに、枝をすべて刈り払ってしまったのだろう。昨日の夜、戻ってきたムクドリたちはさぞびっくりしただろう。
これで取手駅前は、ムクドリ公害から解放されたのだろうが、ムクドリがいなくなったわけではないので、またどこか新しい場所に移ってけたたましい鳴き声を響かせ、糞を落としまくるのだろう。
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土手の草刈り終へ肩で息をして見下ろす川に薄ぞなびく
朝方は曇って肌寒いほどだったが、昼過ぎから晴れてきた。来週の日曜日は町内会の一斉草刈りだが、その日は帰郷の予定なので、今日のうちに自分の家の裏の土手の草刈りをする。
這いつくばるようにして鎌をふるうのは、かなりの体力を使う仕事だが、メタボ対策にちょうどいいから、町内会の電動草刈り機を借りずに、力業 (ちからわざ) でこなす。
ようやく一通り刈り終えると、肩で息をするほどのぜいぜいしているが、それで終わりではない。鎌を砥石で研いで、錆止めに油を塗っておかなければならない。ここまでこなすと、さすがに一仕事終えたという気分になる。
写真は昼過ぎに太陽が顔を出してから、裏の土手から撮ったもの。薄がいかにも秋の風情を感じさせるようになった。薄の背景は、空ではなく川の波である。
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赤とんぼ飛ばぬ都会の夕空も紅染めて野分送りぬ
昨日は台風のせいで、東京の街に出てくることができなかったが、今日はいろいろな打ち合わせがあって、出ないわけに行かない。
午前中は昨日の風がまだ残っていたが、午後からは穏やかな天気になった。夕方にはちょっとした夕焼けが見えた。
こんな夕焼けをみると、赤とんぼの飛ぶ姿が欲しいところだが、東京の街中ではそれは無理な話になってしまった。
そういえば、とんぼは本当に少なくなってしまった。子どもの頃は空一面とんぼが飛んでいたりしたものだが。日本のことを 「秋津島」 と呼ぶことがあるが、「とんぼの島」 ということである。「秋津島」 は言葉として死語になっただけではないのかもしれない。
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道端の天使の喇叭とふ花は野分に吹かれ如何に鳴りしか
今日は台風直撃で、JR 常磐線の電車が昼過ぎまで動かなかった。昼前まで常磐線取手駅でしばらく待ったのだが、全然動きそうにないので、都心に出るのは諦めて、家に帰ってきてしまった。
取手駅近くの小路に、どこかの家のポリバケツが風に転がされてきていて、そのすぐそばにのラッパ状の花が落ちていた。
ラッパ状の花は、多分、エンゼルズ・トランペットだろうと思う。昨年の十一月に、これについて書いている。(参照)この花の咲いているのはかなり離れた場所なのだが、よくまあ、こんなところまで飛ばされてきたものだと思う。
ポリバケツは、この写真を撮ってから風当たりのない物陰に非難させておいた。
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縮れたる糸引く如く刻々と野分は地図の上を進み来る
台風が近づいている。朝から雨でまだ強い風雨にはなっていないが、関東は明朝あたりが山場になりそうだ。さて、電車がちゃんと動いてくれるかなあ。
ニュースをみると、台風が刻々と近づいてくる。近づいているとはいえ、画面で見るとそれは一寸刻みである、こういうのは、なかなか心臓に悪い。
取り敢えず、今日はそそくさと早めに帰宅して、ゆっくり寝るとしよう。近頃はなんだかんだと要件が重なりすぎて、ちょっと疲れてしまった。
写真は、秋葉原駅前から雨の街を写したもの。今日はデジカメを忘れたので、iPhone で写した。やっぱり少し画質が落ちるなあ。
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野分より伸び来る雲の黒くして白き木槿の影を染めたり
ムクゲというのは、本当に長く咲き続けるものである。今年の和歌日記を遡ってみたら、六月二十九日に 「裏の空き地のムクゲはいつ咲くのかと思っていたら、もう咲いていた」 とある。
こう書いてあるということは、その何日か前から咲いていたのに気付かないでいたということだろう。もう十月だから、三ヶ月半ぐらいは咲き続けている。
毎年十月下旬までは咲いているから、少なくとも四ヶ月ぐらいは咲き続ける花である。そしてこのあたりで最後の名残の花を咲かせる頃に、酒田の父から 「山茶花が咲き始めた」 という電話が入ったりする。
ということは、ムクゲと山茶花に、皐月をプラスして庭に植えれば、ほとんど一年中花が絶えないということになるだろうと思ったりする。
今日はまた低く立ちこめた黒雲ばかりの目立つ日だ。台風が通り過ぎてくれないと、爽やかな秋晴れは見られないようだ。
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宇宙とふ恵みの台 (うてな) 秋桜の花蘂 (はなしべ) を蝶はひたすらに吸ふ
今日は昨日までとはうって変わっていい天気の一日だった。秋雨前線が南に下がったのだそうだ。明日からはまた北上して雨になるらしい。そして金曜日まではずっと雨模様になるらしいから、今日は貴重な晴れ間だったわけだ。
コスモスがきれいに咲いていて、小さな蝶が蜜を吸いに来ている。写真を拡大してみると、口から延びる細い管が、花の中心に刺さっているのがわかる。
それにしても、花と比べると蝶は本当に小さい。蝶にしてみれば、ものすごく大きなものから蜜の恵みをいただいているのだと思う。秋桜はまさに、宇宙 (コスモス) なのだろう。
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雲間より僅かにのぞく中秋の名月揺らす遠き花火の音
今日はかの有名な土浦の花火大会 (参照) だ。所用で水戸方面に行っていたのだが、ちょっと遅くなると、途中の道路が大混雑になって戻って来れなくなる。それで、4時前に早々に用事を切り上げて帰ってきた。
家にたどり着いた頃には、もうすっかり日が暮れていたが、車を降りると遠くの方から、腹に響くような花火の音が聞こえる。遠い土浦から聞こえてくるとは信じられなかったので、インターネットで検索してみたのだが、近郊で今日花火大会をしているのは土浦以外にない。
考えてみれば、それも当然だ。全国の主立った花火師は今日、みな土浦に集結しているのだから、他でやっても、上げる人も見に来る人もいない。この音はやっぱり土浦からはるばると聞こえてくるもののようだ。
今日の写真は、日が暮れた空を見上げたもの。一見すると真っ暗で何だかわからないかもしれないが、真ん中あたりは雲間から僅かにのぞく月明かりである。雲がなければ中秋の名月のはずなのだが。
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葉の陰に熟して赤き柿の実を鳥は空より如何に見るらむ
昨日は当分 iPhone のカメラでやってみようなどと思い、実際にそう書いてしまったが、写真のできを見るとどうしても満足できないので、やはり今日はデジカメの写真に戻してみた。こうしてみると、写真のできが全然違う。
iPhone のカメラ機能は、デジカメを持って出るのを忘れてしまった時など、予備カメラとしての位置づけに止めておこうと思う。
今日は柿の実の写真。同じ枝になった実でも、色合いに変化がある。完全に熟して今にも落ちそうなものから、まだ青みが残って硬そうなものまで、色とりどりだ。
今日は昼前からとてもいい天気になった。今週は今日だけ天気がいいらしい。朝は曇り時々雨という予報だが、最高気温が今日と同じぐらいになるらしいので、蒸してしまいそうだ。
ひんやりとした秋の空気になるのは、まだずっと先なのだろう。
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