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2009年10月28日

千秋公園にて

百年余経ては歴史となりにけり千秋の思ひ紅葉と染めて


Wl091028 朝に秋田のホテルを出て、ちょっと千秋公園を散策し、11時前のこまち号に乗った。夕方からの会議がなければ、もっとゆっくり見物したかったのだが。

千秋公園は、久保田城跡の公園。佐竹藩ゆかりの神社などもある。名前の由来をインターネットで調べると、秋田出身の漢学者、狩野良和が秋田の 「秋」 に長久の意の 「千」 を冠して命名したとするページが多いが、「千秋苑」 という和菓子をつくっている 「お菓子のくらた」 のサイトには次のようにある。(参照

 明治二十五年、市が佐竹家より借入れて公園を経営したあと、同二十八年に県に移管され、その際、狩野良知の撰によって佐竹義生が千秋公園と名づけました。

 中国の故事から千秋万才の意をとり「千秋公園の長久なるべきを祝し、かつ秋の字は秋田の地名にも縁があるので名づける」とされております。

いずれにしても、狩野良和が関与していたことに間違いないが、明治の半ばを過ぎてからの命名のようだ。意外に新しい話のように思うが、よく考えればもう百十七年前の話である。東北の歴史は、年代不詳か、さもなければ案外新しい話というのが多い。新しくても十分 「歴史」 っぽいところが、東北の良さである。

佐竹家というのは秋田の殿様で、徳川の時代になってから、水戸から秋田に遷封された。だから茨城と秋田は縁があって、秋田市と常陸太田市が姉妹都市になっている。ちなみに佐竹家が出てからの水戸藩主は、あの黄門様である。

その昔、佐竹候が秋田に移る際に、茨城中の美人を連れて行ってしまったので、それが後の 「秋田美人」 に繋がり、茨城県にはべっぴんの血筋が絶えたなどというまことしやかな説がある。もちろんウソに決まっているが、下手すると信じてしまいそうになるほど、秋田には美人が多い。(茨城の現状については、あえて触れない)

ところで、千秋公園は紅葉が始まっていてとてもきれいだったのだが、なぜか写した写真がごっそりと消えてしまっていた。前に富山に行ったときこんなことがあって、後で復元ソフトでなんとか復活させたのだが、ノート PC の方にはそのソフトを入れていないので、どうしても取り出せない。

それでしかたなく、昨日写した車窓の写真で代用させてもらうことにする。だから、今日のタイトルは 「千秋公園」 なのに、写真はそれとは関係がない。

さすがに秋田は、私の郷里の酒田よりもさらに百キロ近く北に位置するので、紅葉も早いようだ。

(写真をクリックすると、拡大表示されます)

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