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せっかく近くまで出張したので、高野山参りをしてきた。例によって天気は上々。標高八百メートルの山中も、汗ばむほどだった。
弘法大師は、この紀伊の国の高野山の中に久遠を見いだしたのだろうなあと思った。それは如来の久遠である。生まれては滅する現世の中で、不生不滅のイメージをこの幽山に観じたのだ。
それが今の世にも脈々と残っているというのは、思えばありがたいことである。
2010年5月 9日 神霊の歌 | 固定リンク Tweet
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