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2010年9月30日

胸の内の忍ぶ思ひを密やかに吐き出せばかくも秋となりたり


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夕べからずっと雨。夏の間はあんなに降らなくて、畑の土が焼けてしまったほどなのに、降るとなったら降る。そして 11月中旬から下旬の気温だそうである。

秋だなあと思うまもなく、来週はまた夏日の気温が続くという予報だ。外出するときに、何を着ればいいのかわからない。

とはいえ、ふと気付くと秋そのものの光景である。そして、秋になったり夏に戻ったりを繰り返しているうちに、あっという間に冬になるのだろう。

一年は本当に早い。

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2010年9月29日

秋の日にもの語らんと思へどもその影も見ず語るべきもの


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今日は天気がよくなるよくなると言われていた割には、なんとなくすっきりとし尽くせない中途半端な空模様だった。

もう少し晴れたら空を撮ろうと思っているうちに日が暮れかかったが、ご覧の通り、ますますどんよりとしてきてしまった。明日はまた冷たい雨なんだそうだ。

"Today's Crack" の方で、物語力と即物的情報力のバランスについて語っていて (参照)、こちらのブログの方は物語力の範疇に属すると思いたいのだが、大した語りはしていないなあ。

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2010年9月28日

雨止めど雲居の晴れぬ夕空をビルの灯はただ無関係に染む


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昨日からずっと肌寒さが続いていたが、昼過ぎにに雨が止んでからだんだんと気温も上がりだしたような気がする。日が暮れてからの方が、昼頃よりずっと暖かい。

ずっと雨模様だったので、写真は夕方過ぎに晴れてから撮ろうと思っていたのだが、ついにまともには晴れず。日が暮れてからもどんよりとしたままだ。

このままの雲行きが続けば、夜明けもあまり冷え込まないだろう。

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2010年9月27日

対岸の雨に煙ればあの夏は対岸よりも遠きに去りぬ


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今日は一日雨降り。気温も低く、最高気温も二十度そこそこだった。急に秋が来て、しかも細かいことを抜きにして晩秋になったような陽気だ。

日が暮れる前から寒いほどだが、今日は暖房つけない。つい最近まで冷房入れていたのに、急に暖房入れるなんて無節操はしない。とにかく厚着でしのぐ。

写真は雨に煙る川の向こう岸。もうすぐ冬みたいな景色だ。

ここまで寒いと、ついこないだまでの猛暑までなつかしいような気がするが、いや、それはただの気の迷いだ。あんな夏は、もうごめんだ。

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2010年9月26日

宵闇の中に浮き立つスーパーの中で浮き立つ新米を求む


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この秋、初めての新米を買った。とはいっても、新米の中では一番安いランクの米である。

我が家は米の値段にはあまりこだわらない。おいしく炊けば十分おいしく食べることができると思っている。はっきり言って、高い米が必ずしもおいしいというわけではない。米の値段というのは、案外当てにならないところがある。

それに、本当においしい米を食べようと思えば、酒田に帰りさえすればいいという、伝家の宝刀がある。

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2010年9月25日

黄昏を染めて滲みて秋色は深まりてまた薄れ行くなり


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今日は本当に穏やかな日だった。もっとも、夜中には雨が降っていて、朝のうちもずいぶんどんよりとして風も強かったが、昼からはいかにも秋の日和になった。

一昨日から雨が断続的に降ったので、裏の川の水かさも増えた。夕暮れの日差しを受けて、世界が秋色になっている。

近頃は春と秋の期間が短めで、あっという間に夏と冬になってしまうので、しっかりと楽しんでおこう。

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2010年9月24日

国道の端にこそ咲け蕎麦の花真白なれどもかくも目立たず


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今日は宇都宮まで仕事ででかけた。高速道路を使わずに片道約二時間。往復で四時間だ。

鉄道を使うと、両端の車での移動を含め、特急利用で往復四時間半ぐらい。これなら、私は迷うことなく車での移動を選んでしまう。車だと途中での道草も自由だし。

写真は、途中の真岡あたりの道路際の蕎麦畑。白い花が満開だ。蕎麦畑って、いかにも無造作で質素で、しかも花はきれい。自分の趣味は、基本的にこういうものなんだなと、不意に気付いた。

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2010年9月23日

細れ波立つ白鷺の脚細し秋は冷たく不意に来にけり


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昨日の暑さとはうって変わった肌寒さである。前線一本を境に、空気というのはこんなに変わってしまうものかと驚く。

裏の川も秋の様相になった。水量が減って、向こう側の川底が現れている。現れているのは、川幅を広げたときに掘った部分で、元は土手だったところだ。

その水と川底の境目に、一羽の白鷺がずっとたたずんでいる。秋の白鷺は寂しい。急に秋になったので、その寂しさが際だつ。

「細れ波」 は 「さざれなみ」 と読む。「立つ」 にかかる枕詞だが、たまたま実際の光景とぴったり重なった。

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2010年9月22日

熱き風吹き抜くる先なきままの停車場に射す名月の影


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いやはや、昨日も暑さがぶり返していたが、今日のはかなりのものだった。中秋の名月だというのに、都心の昼は三十二度まで気温が上がったらしい。一度涼しくなって体が油断していたので、真夏並みに暑く感じた。

いや、「真夏並みに」 と言っても、正真正銘、いつもの年なの真夏の気温なのだが、今年の真夏は、あんなだったからなあ。

それにしても、あの記録的な猛暑と言われた平成十六年八月の和歌日記を読み返しても、今年の夏ほど暑い暑いとは嘆いていない。それどころか、下旬には 「涼しくなった」 なんて、何度も書いてある。これを見ても、今年の夏は異様な暑さだったとわかる。

写真は日暮れての上野駅。まだまだ蒸し暑さが残っている状態。帰宅したときは、外は涼しい風に変わっていたが、家の中はむしむしのまま。外壁が暖まっているから、なかなか涼しくならない。

とはいえ、夜明け頃はかなり涼しくなっているはずなので、体がびっくりしないように気を付けよう。

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2010年9月21日

地下深く人を連れ行くエスカレーターは秋の日のごとく沈み行くなり


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「暑さ寒さも彼岸まで」 なんて嘘だなと、毎年二回思うのだが、今年は夏本番が暑すぎたので、多少の残暑が続いても 「彼岸まで」 と思えると期待していた。

ところが、今日の暑さは夏本番そのままで、やっぱり 「暑さ寒さも彼岸まで」 とはならなかった。彼岸になっても暑い。この暑さは本物で、日が暮れてからもむっとするほど暑い。

残暑とはいえ、いつもの年の真夏より気温が高い。まだまだ油断がならない。

写真は秋葉原の駅の、つくばエクスプレスの乗り場に降りるエスカレーター。かなり地下深くまで潜ることになる。私は地上の常磐線を利用し続けているのだが。

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2010年9月20日

日暮れても開け放ちたる窓越しの彼岸の風を分くる虫の音


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午後六時を過ぎるとほとんど日が暮れてしまっている。まだまだこんなに暑いのに。

知り合いから 「越中富山の甘金丹」 というおみやげをもらった。包装紙を一目見て、どんな薬かと思ったら、さにあらず。

良薬は口に苦しというが、甘金丹の中身は、上品な甘さのカスタードクリームケーキだった。ごちそうさま。

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2010年9月19日

よくぞ無事で乗り切りたるとこの夏を思ひ返して彼岸となりたり


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適当に天気がよく、適当に暑いような気もした一日が終わろうとしている。

世間は三連休の二日目だが、私にはそんなものは関係ない。写真は、一日仕事ででかけていて、夕飯を食べに寄ったショッピングセンターの駐車場だ。

明日は秋分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」 というが、今年は珍しくそのような気がする。いや、まだ十分に暑いのだが、夏本番が暑すぎたので、暑さが終わりかけているように錯覚してしまう。

久しぶりにあった友人と、「よくぞ無事で夏を乗り切ったね」 と、祝福し合う今日この頃である。

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2010年9月18日

それぞれの虫は他を通低音として夜明けまでびたに鳴くなり


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歌は朝方に詠んだのだが、写真を撮るのがぐずぐずで遅れてしまって、夕方になってしまった。だから、今日のは、写真と歌の関連はほとんどなし。

句またがりしまくりだが、一応ちゃんと三十一文字。

今朝はこの他に、以下のような歌を Twitter に上げた。

をちこちにて花火の音の轟くは運動会の知らせなるらむ

白露なるあしたに熱き茶を飲めばそこもと過ぎて暑さぞ忘るる

寝ぼけながらのことなので、どちらも単なる戯れ歌である。

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2010年9月17日

葡萄吸へば冷たき舌の如きもの吾が熱き舌を舐め喉を押し開く


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あちこちからぶどうの頂き物が重なってしまって、冷蔵庫があふれそうになり、昨日から死ぬほどぶどうを食べている。

一家総出で食べに食べて、ようやくこのくらいに減った。ぶどうというのは、ちまちま食うのが面倒だが、不思議に飽きないので、どんなにあっても何となく食えてしまう。

複数の種類のぶどうを平行して、わしわし食っていると、なるほど、ぶどうにもいろいろの味わいのあるのが、とてもよくわかる。赤ワインと白ワインがあんなにも違うのが当然と納得される。

これからどんどん秋の味覚が出てくるわけだが、今年はその滑り出しでぶどう漬けみたいになってしまったのは、一体何を暗示しているのだろう。

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2010年9月16日

濡れ縁の一枚板に夏の日の炎を埋めて雨は過ぎたり


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写真は、我が家の濡れ縁に置いてある分厚い一枚板の台。義父が木工用に使っていたものだ。値段を付ければ結構高いものになるかもしれないが、もったいないことに、無造作に濡れ縁に放置してある。

さすがに一枚板なので、感触が柔らかで快適である。いつもは猫が日向ぼっこの特等席にしている。

この一枚板がこの夏の炎暑で乾ききり、表面に微妙な凹凸が生じていた上に、今朝の大雨が降りかかったので、なかなかおもしろい模様ができている。描いてできるような模様じゃない。消えてしまう前に、写真に撮っておいた。

それにしても、昼前までの雨はすごかった。近頃、本当に転機が極端から極端に振れてしまうようで、降らないとなると一ヶ月以上もカンカン照りだが、降るとなるとこんな大雨になる。

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2010年9月15日

ビル影の細き谷間を埋め尽くす雲居も染めで沈む日の秋


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今日は正真正銘涼しい日だった。まともに秋の訪れを感じた。最高気温が先週当たりの最低気温より低いなんて、信じられないお話だ。

涼しいというのは、いいものである。人と会うと 「やっと乗り切れたかもしれないね」 なんていう話題になった。

日の沈むのも早くなった。写真は午後五時半頃の秋葉原の様子。ビルの窓に明かりが灯っているのがわかる。これからどんどん 「つるべ落としの秋の日」 になる。

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2010年9月14日

日暮れより風に揺れたる木槿の枝に白き花こそ増えたりと見ゆれ


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朝は涼しかったが、昼は例によって暑かった。「なんだ、暑さは収まらないじゃないか」 と思ったが、四時頃から急に北風が吹き始めて空気が変わった。夕方になると、肌寒いぐらいになった。

おりしも、民主党代表選で菅さんが圧倒的な差で勝利したと聞いて、ますます肌寒さを感じた。

写真は我が家の裏手の土手に生えているムクゲ。一番暑い盛りは花が少なかったが、近頃少し増えてきた。やはり、あまり暑すぎると花も開きたくなくなるもののようだ。

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2010年9月13日

涼風を呼ぶは日暮れて降る雨か夏に倦みたる人の心か


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先週までの天気予報では、猛暑は日曜までで週明けは少しは涼しくなるはずだったのだが、一日延びてしまって、今日まで暑い日になってしまったようだ。確かに、かなり暑い日だった。

それどころか、ここ数日と違い、日が暮れてしまってからも蒸し暑い。上野駅のコンコースもむっとするような人いきれだ。本当に明日は涼しくなるんだろうなと言いたくなるほどだ。

それでも、熱帯夜からはしばらく解放されているので、寝苦しさはなくなった。本当に体に応えるのは、最高気温よりも最低気温なのかもしれない。

そうこうしながら九時頃に取手駅に着いたら、地面がしとどに濡れている。雨が降っていたようだ。これで少しは地面が冷えたかもしれない。

【追記】

この和歌日記をアップした直後からものすごい雷雨になって、二時間近く絶え間なしの稲妻と雷鳴に包まれた。これでだいぶ冷えたような気がする。

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2010年9月12日

風吹けば時ぞ移ろふ今まさに時移ろはす風吹き渡る


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朝方に Twitter に挙げた歌をちょっと推敲してここに載せる。

明け方は涼しい風が吹き渡っていて、秋の訪れを感じさせたが、日が高くなるにつれて気温もどんどん上昇している。今日は猛暑日になるらしい。太平洋高気圧が最後の意地を見せているようだ。

時の移ろいを感じるのは、季節だけではない。昨夜、谷啓さんの訃報が流れた。これでクレイジーキャッツの生き残りは、桜井、石橋のお二人。

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2010年9月11日

川岸の枯れ葦の先に止まりたる秋津動かず水動くとも


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せっかく少し涼しくなったと思ったのだが、今日はまた真夏の暑さである。明日はもっと暑くなって、猛暑日になるという。とはいえ、朝夕は涼しい風が吹いて、暑さでバテてしまうというほどではない。

我が家の裏手の川も、水量が少なくなってきた。枯れた葦の先に、とんぼがとまっている。こんな情景を見ると、やはりもう秋なのだと思う。

週明けからは最高気温も三十度を下回ることになるようだ。ありがたい。これで八つ当たりしなくて済む。

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2010年9月10日

ビルの影小径の幅に伸びたれば細き空より涼風ぞ吹く


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昨日よりは気温が上がっているが、それでも今週の初め頃よりはずっとさわやかだ。

真昼の東京都心も、日向を歩けば確かに暑いが、日影にはいると気持ちがいい。ようやく季節が一つ進んだようだ。

真昼とはいえ、ビルの影も長く伸びるようになっている。一時は日影を探して歩くのにも苦労したが、今はさわやかな風に吹かれて歩くことができる。

ようやく本当に秋になりかけているようだ。

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2010年9月 9日

落つるべき実は落ちにけりそれもまた慈悲にやあらむ野分ぞ過ぎし


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台風一過。雨は思ったほど激しくは降らず、日付の変わる頃にはかなり小降りになった。夜明け頃、最低気温が二十度ぐらいに下がったようで、寒さで目が覚めたほどだ。

別の言い方をすれば、二十度ごときで寒く感じてしまうほど、今年の夏の暑さに体が順応してしまったということで、それを思うとなんだか少し切ない。

朝、家の前の道は風でなぎ落とされた小枝や木の葉に混じり、まだ青い柿の実が散乱している。柿の実を見ると、暑い暑いと言っている間にも季節は進んでいたのだなあと思う。

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2010年9月 8日

久方の雨連れ来ては日の本を駆け抜けて野分宵に消えたり


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台風九号の影響で、朝から断続的な雨になっている。とくに昼から三時頃にかけてはかなり強く降った。一月ぶりの雨である。

台風は夕方前に熱帯低気圧に変わったようだが、北陸に上陸して駿河湾に抜けるなんていう妙なコースを辿った台風を、生まれて初めてみた。

雨の影響で、だいぶ気温が下がったようで、昨日までのような暑苦しさはない。だが、台風一過の週末まではまた暑さが戻るという。

とはいえ、台風が上陸したということは明らかに一つの変わり目であり、来週からは少しは秋らしくなるらしい。そうなってくれないと困る。

都内はあちこちで道路が冠水したり、電車のホームが水浸しになったりしたらしい。常磐線は我孫子から取手までの間が徐行運転のため、ちょっとした遅れが出ていたが、なんとかたどり着いた。取手駅で電車を降りると、雨が小降りになったり本降りになったりの繰り返しで、ずいぶん涼しい。

というわけで、今日からカテゴリーを 「秋の歌」 とさせていただく。ちょっと見切り発車っぽいが、例年は八月の終わりには 「秋の歌」 にしていたわけだし。

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2010年9月 7日

終はらんとするかかくまで燃えし夏よ木槿の花の少なき夏よ


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去年も 「今年は木槿の花が少ない」 と書いた憶えがある (参照) が、今年はもっと少ない気がする。

去年は八月になっても戻り梅雨でぐずついたので、冷夏のせいだと思うが、今年は逆に暑すぎるせいなのだろうか。冷夏の年より猛暑の年の方が花が少ないというのは意外だが、本当のようだ。

今日も暑い日だったが、それなりに風も吹いたので、少しは秋が近づいているのかなという気になった。明日の夜は台風の影響で雨が降るらしいので、それが季節の変わり目になってくれるとありがたいが。

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2010年9月 6日

夏の居間に庭の草いきれ持ち込みて鎌もたげゐる緑の蟷螂


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朝、我が家のテーブルに見慣れない客がいた。どこから入ってきたものか、一匹のカマキリがいる。

せっかくのお客様だから、ご芳名帳代わりに写真を撮ろうとしたら、鎌をもたげて威嚇体勢に入っている。なかなかのオーラだ。

あまり家の中にいると、我が家の猫の餌食になってしまうから、早々に窓の外に放り出してやった。

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2010年9月 5日

暑き日の磐城に暮れて常陸なる蕎麦の香りを吸ひて戻りぬ


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今日は仕事で早朝から福島県まで出かけ、日がとっぷり暮れてから帰ってきた。往復で八時間の運転プラス四時間の労働。

福島県は少しは涼しいかと思ったが、全然そんなことはなく、むしろ関東より暑いぐらいで、頭がくらくらした。

おまけに帰り道は常磐道の岩間の先が事故で渋滞。せっかくだから、岩まで降りて、久しぶりで 「やしろ」 のそばを食べた。自分への 「ご苦労様」 の印に、少し奮発して鴨南せいろそば。大変おいしくいただいた。

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2010年9月 4日

この夏は名残惜しくもあらざるに涼風吹けば思ひ乱るる


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今日も、今さら言うまでもなく、朝から暑い一日だったが、日が暮れてからの感じは、昨日とは違って、少し涼しげな風が渡る。

仕事でつくばまで行っての帰り、守谷のショッピングセンターにあるコーヒーショップで一服している。

駐車場を渡る風が、なんだか少しは夏が終わりかけているんじゃなかろうかという期待を抱かせる。

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2010年9月 3日

紅の夕焼け雲のその上の筋なす雲に秋は見ゆるか


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近年は十月頃までは残暑が続くので、九月だからといってきっちりと秋になっていてくれなければならないなんてことは、全く思わない。

ところが、今年の九月は残暑なんてもんじゃない。いつもの年の真夏以上の暑さである。今日も今日とて、昼過ぎから三時頃までは、熱気がスポンジ状になって襲いかかってきているような暑さだった。

エアコンのない学校は、授業になっているんだろうか。夏休みをもう一週間ぐらい、臨時で延長する方がいいんじゃなかろうか。

とはいえ、夕暮れの頃には空に秋らしい雲が浮かぶようになってきた。異常な暑さは、あともう少しの辛抱だ。再来週頃には、「普通の暑さ」 になるらしい。「普通の暑さ」 が 「涼しさ」 として感じられるようになっていたら、それを喜んでいいのだろうか。はたまた悲しむべきなのだろうか。

 

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2010年9月 2日

真夜中のバイクの一団の行き過ぎて国道の風は暑きままなり


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いやはや、もうすっかりわかりきった話ながら、今日もうんざりするほど暑かった。とりあえず、来週末まではこの暑さに耐える。来週過ぎてもまだ暑さが続いたら、耐え続ける自信がない。きっと八つ当たりし出す。

しかし考えてみれば暑さで八つ当たりしようにも、当たる先がないので、やっぱり耐えるしかないのだろう。

今日は仕事で帰りが遅くなった。写真は夜十一時の国道六号線。暴走族の一団が爆音を立てて通り過ぎた後の、がらんとした光景である。

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2010年9月 1日

百年の後の地球の夏の日の積乱雲を今見上ぐなり


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今朝はまた、一段と暑かった。昨日の朝は霧が出ていたのでまだ少しはしのぎやすかったが、今朝は五時頃にはもうかんかん照りで、肌が焼けるような日差しになっていた。

駅に向かうまでのカーラジオで、気象予報士の森田正光さんが、「来週一杯は暑いと思いますよ」 なんてことを言っている。それはもう十分覚悟しているが、改めて言われるとうんざりしてしまう。

今年八月の東京の平均気温は、平年より二・何度だか高いんだそうだ。予測では、百年後の地球の気温は今より二度から三度高くなっているというので、今年の夏は、百年後の夏のシミュレーションみたいなものとみることができるという。

そして百年後のこのくらいの暑さは、あくまでも平均値だから、百年後に 「今年の夏は暑いね」 ということになったら、最高気温はおそらく四十五度ぐらいになっているんじゃないかという。その頃には生きていないからいいが、四代ぐらいあとの世代が気の毒だ。

写真は朝の八時半頃の空。もうこんなにすごい入道雲が湧いている。

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