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2011年5月 4日

見渡せば花見ゆるなりさらにまた見つむれば芥子の聞こえ来るなり

I can see flowers / And hear them as well / By watching them


Wl110504

裏の空き地にケシの花が咲いていた。ここにケシが咲き始めたのは、去年からのような気がする。その前はなかった。和歌を詠むと、そうしたことに気付く。

毎日和歌を詠むことで得られるメリットというのは、曲がりなりにも自然というものに多少敏感になることだ。周囲の自然の変化を言葉にすることで、何らかの発見がある。

見つめなければ見えてこない。耳を澄まさなければ聞こえてこない。そしておもしろいことに、見つめると聞こえてくるし、耳を澄ますと見えてくる。心を開くといろいろなものを感じることができる。

そうか、歌を詠むことの功徳というのは、心を開くことであったのか。

(写真をクリックすると、拡大表示されます)

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