川岸に身を縮め咲く様となればセイタカアワダチソウも憎めず
I can't hate tall goldenrod any more / For they come out more quietly / Than before on the bank
七年前の和歌ログを初めて間もない頃、「かの草に罪はなけれど少しばかり憎らしセイタカアワダチソウ」 という歌を詠んだ。
「セイタカアワダチソウ」 というのは、なかなか歌に読み込みにくい名詞で、この歌の下の句は句またがりのうえに、結句が字足らずである。
この頃は、セイタカアワダチソウを見るたびに、ちょっとだけ不愉快な気分になっていた。毒々しい黄色が日本の景色にふさわしくない気がしていたのである。
その二年後、今度は 「身の丈を合わせ居場所を得たりとは哀しやセイタカアワダチソウ」 と読んだ。この頃になると、さしものセイタカアワダチソウも日本に同化しつつあるようで、あまり大きく伸びなくなって、少しは居場所を得てきているような気がしたのである。
今日、小貝川の岸にセイタカアワダチソウが咲いているのをみかけた。今年はますますこれ見よがしでなくなっている。あまり憎らしい気持ちにもならなくなった。
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