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2011年10月31日

如何様に改装すれど見るからにあか抜けぬのが上野駅なり

No matter how it was reconstructed / The Ueno Station remains / Such unsophisticated


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東北出身で、住まいが常磐線沿線という私にとって、上野駅は馴染みの駅である。馴染みの駅ではあるが、やっぱり上野駅はちょっとあか抜けない気がしている。

構造的に三層になっていて、凝った造りだとか、改装後は少しお洒落になったとか、いろいろ言われてはいるが、やっぱりどうもださい。

例えばこの正面玄関である。窓が大きすぎてバランスが悪い気がするし、なんと言っても、この正面の一番上の時計である。どうにもださくて余計である。スティーブ・ジョブズだったら、こんな時計はさっさと取っ払っていただろう。

とはいいながらも、やっぱり馴染みの駅なのである。

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2011年10月30日

夕暮れに雨は来たりき対岸のからす静まりかはづ鳴き初む

A slight shower at sunset / Crows on the opposite bank became quiet / While frogs started to croak


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天気は下り坂で、夕方に帰宅すると、つくばの里は小雨がちになった。明日の昼までは降り続くらしい。

車を駐車場に入れている間は対岸でうるさく啼いていたカラスたちが、段々暗くなるうちにいつの間にか静かになったが、その代わり、すぐ近くの草むらでカエルが鳴き始めた。

英語でカエルが鳴くという動詞は "croak" というのだそうだ。これはきっと、英語の擬音語だな。

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2011年10月29日

電車来たり人吐き出してまた飲み込みついと去りゆくターミナル駅

Trains come to put people out / And put the others in / To leave the terminal station


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取手駅は常磐線快速電車のターミナル駅である。朝夕のラッシュ時には、ほぼ十分間隔で上野駅との間を往復する快速電車が到着し、発車する。

夕方、都心方面から到着し、人を下ろし、また乗り込ませて発車していく様を見ていると、機械的でいながらちょっとしたセンチメンタリズムも感じさせる光景だ。

ターミナル駅というのは、なかなかおもしろいものである。

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2011年10月28日

貴船より鞍馬にかけて歩きしを思ひ出すなり貴船菊見て

Memory of hiking / From Kibune to Kurama / Seeing Kibune-giku or japanese anemone


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我が家の裏の土手の道沿いに、きれいな白い花が咲いている。これはキブネギク (貴船菊) という花で、秋に咲くことから別名シュウメイギク (秋明菊) とも言われる。

キクという名前だが、見るからにキクっぽくなく、キンポウゲ科の花なんだそうだが、図鑑で調べると、ピンクで花弁 (実は花弁じゃなくてガクの変化したものらしいが) の多い種類は、なるほどちょっとキクに見えないこともない。

キブネギクの名を聞くと、六年前の夏の京都旅行を思い出す。貴船から鞍馬山のハイキングをしたのだ。夏の京都は死ぬほど暑いが、あの辺りは別天地だった。

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2011年10月27日

人影も白鷺も見ぬ刈田には深まる秋の風通り過ぐ

It's only autumn wind / That blow through empty fields / Without men or white herons


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今日はとても涼しい一日で、本当に秋本番だった。日が暮れてからはかなり冷え込んで、暖房が欲しいぐらいになった。

しかし、私は震災以来、エアコンは使わないと決めているので、この程度の冷え込みは厚着で耐えるのである。

写真は広々とした刈田の様子。酒田では、刈田には白鳥が飛んできて落ち穂をあさっているのだけれど、つくばではそれはない。その代わりに、白鷺が時々見受けられるのだが、今日は見当たらなかった。

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2011年10月26日

県道をヘッドライトの列は行く辿る家路のあるぞ嬉しき

A line of headlamps / On the byway / It' s nice to have home to be back


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日暮れがいよいよ早くなった。五時半にはかなり暗くなる。川向こうの県道に帰宅する車のヘッドライトの列が続く。

夕方を過ぎると、気温も低くなる。昼間はTシャツ一枚で過ごせたが、日が暮れてからはその上にスウェット・シャツとフリースを重ねている。

震災以後はエアコンを使わない覚悟を決めたので、これからは寒くなればそれなりに厚着で耐えることになる。今から暖房を使わずにいれば、体もそれなりに慣れるだろう。

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2011年10月25日

川岸に身を縮め咲く様となればセイタカアワダチソウも憎めず

I can't hate tall goldenrod any more / For they come out more quietly / Than before on the bank


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七年前の和歌ログを初めて間もない頃、「かの草に罪はなけれど少しばかり憎らしセイタカアワダチソウ」 という歌を詠んだ。

「セイタカアワダチソウ」 というのは、なかなか歌に読み込みにくい名詞で、この歌の下の句は句またがりのうえに、結句が字足らずである。

この頃は、セイタカアワダチソウを見るたびに、ちょっとだけ不愉快な気分になっていた。毒々しい黄色が日本の景色にふさわしくない気がしていたのである。

その二年後、今度は 「身の丈を合わせ居場所を得たりとは哀しやセイタカアワダチソウ」 と読んだ。この頃になると、さしものセイタカアワダチソウも日本に同化しつつあるようで、あまり大きく伸びなくなって、少しは居場所を得てきているような気がしたのである。

今日、小貝川の岸にセイタカアワダチソウが咲いているのをみかけた。今年はますますこれ見よがしでなくなっている。あまり憎らしい気持ちにもならなくなった。

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2011年10月24日

庄内は秋にてありぬ戻りくれば筑波の秋も深まりてあり

I felt deep autumn in Shonai / Coming back to Tsukuba / I found autumn has advanced


Wl111024父の逝去で、庄内の地に一週間滞在した。近頃では二泊三日程度の帰郷が多かったから、一週間もいたのは久しぶりである。

十七日に酒田に向かって月山街道を越えた時には、周囲の木々はまだ色づき始めたところだった。ところが昨日戻ってきた時には、紅葉がかなり進んでいた。

帰宅してみると、庭の梅の木もすっかり葉を落としている。あっという間の一週間だったが、秋の時の流れの速さを実感した。

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2011年10月23日

栃の実の如き風味を舌の奥に漂わせたり緑米の餅

Green rice cake / With a flavor of horse chestnuts / Given at the deep part of tongue


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これは 「緑米」 という古代米を使った餅の写真である。我が家の本家はかなり優秀な農家で、有機農業でおいしい米を作っている。

本家の農家の一画で作られているのが、この餅に使われた緑米。古代米の中でも赤米や黒米はかなり有名になってしまったが、緑米は非常に珍しい。そして、その緑米を使った餅は日本でも、ウチの本家しか作っていないという。

つまりこれは、日本でただ一つの、ということは多分、世界でただ一つの緑米による餅である。

緑米の餅といっても、よもぎ餅ほどの緑色はしていない。茶と緑の中間のような色をしている食べてみると栃の実のような風味があって、野趣に富んだうまさがある。中に入ったあんこは十勝産で、塩を微妙に効かせて上品な甘さである。

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2011年10月22日

こうこうと鳴きて飛び行く白鳥の姿を追ひぬ故郷の空に

I look for swans / chirping "caw, caw" / In the home town sky


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明け方から 「コウ、コウ」 という声が聞こえる。最上川河口に飛来した白鳥たちが、付近の刈田に落ち穂を食べに飛んでいくのである。

白鳥の鳴き声を 「コウ、コウ」 と表現するのは、多分、まだ日本の標準になっていないんじゃないかと思う。これは十六日に死んだ父が、 「白鳥が 『コウ、コウ』 と鳴いて飛んでいくのはいいもんだ」 と言っていたので、私もそう思っているだけである。

聞き方によっては 「ホウ、ホウ」 とも  「メェ、メェ」 とも聞こえる。それでも、やはり私にとっては 「コウ、コウ」 という鳴き声である。

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2011年10月21日

人の笑顔見るを喜ぶ父なりせば浄土にてもまた菩薩なるらむ

It was father's greatest pleasure / To see others' smile / He'll be a bodhisattva in heaven, too


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父の葬儀が終わった。終わってみれば、周り中が寄ってたかって協力してくれて、案外すらすらと進んだ気がする。

賑やかな葬儀だった。「いい人を失って悔しい」 と涙を流す人もいたが、ほとんどは 「人が喜ぶのを見るのが好きな人だったから、明るく送り出そう」 と、じめじめしたところなく付き合ってくれた。

ありがたいことである。これも父の人徳というものなのだろう。

写真は葬儀の朝、くっきりと見えた鳥海山。

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2011年10月20日

大いなる父を送らむ諸人と集ひ大いなるみたま送らむ

I'm saying farewell / To my father / To the great spirit of my father


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父の通夜が終わった。うちの和尚さんが、あまりにも感動的な説教をしてくれたので、感極まってしまい、直後に喪主の挨拶をするのに困ってしまった。

和尚さんと父は親しかった。そして和尚さんは父をリスペクトしてくれていた。あの説教は、和尚さんの父へのはなむけだったろう。ありがとう、和尚さん。

明日は葬儀。あまりに感極まらないように注意しなければ。

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2011年10月19日

花の中で父眠りゐる花の香を上回る香の匂ひ漂ひ

Incense is more than flowers / That shroud my father / Lie In big sleep


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今日は父の納棺を行った。あんなの初めて見た。いや、映画の 「おくり人」 で見たことはあるが、現実にそんなことがあるのかと疑問に思っていた。実際にあるとは知らなかった。

明日はお通夜。その後が葬儀だ。親戚中寄り集まって、妙に賑やかに楽しく葬式の準備をしている。

後効きしてくるおそれがあるが、今はなぜか悲しみはない。

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2011年10月18日

喪中てふ電光サイン立ちたれば三々五々の焼香の人

An electric mourning sign / In front of my home / Neighbors offer incense for my father


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我が家の前に、葬儀屋さんの用意してくれた 「喪中」 の電光サインが灯されている。出棺から葬儀までの予定がずらりと書かれている。

それを見て、通夜は明後日だというのに、早くも近所の人たちが三々五々焼香に来る。田舎の人は義理堅い。

それにしても、喪主というのはなかなか忙しいものである。私が死んだら、葬儀は簡単なものでいいなと思う。

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2011年10月17日

ふるさとに生きたる父を見送りてふるさとの山紅く萌え初む

Old home mountains / Began to get autumn tints / Saying farewell to my Father


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父の死で帰郷している。写真は月山越えの光景。

今月十二日に帰郷したときには、紅葉はまだまだだったが、今日はだんだん色づき始めていた。

今日はこれにて失礼。

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2011年10月16日

わが父の光のうちに旅立てば悲しまずただ手を合はすのみ

My father left this world / In the way of glory / No grief but great appreciation


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父が亡くなったとの知らせが入った。十二日に娘たちを連れて見舞ったときも、ほとんど言葉は発せられなかったが、孫が三人揃って来たということは認識してくれたようだった。

たった二時間足らずの対面だったが、最期に直接会うことができてよかった。

先月末に見舞ったとき、父は、自分はもう思い残すことは何もないから、何があっても悲しむなと言っていた。そして残った者がちゃんと仲良く暮らすようにと、苦しい息で言った。

「あなたの子だもの。争い事なんてするわけないじゃないか」 というと、「そうか、ありがとう」 と言った。とんでもない。礼を言わなければならないのはこちらの方だ。いくら礼を言っても足りないぐらいだ。

父よ、ありがとう。

明日、酒田に出発する。当分忙しくなる。

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2011年10月15日

秋桜の咲くただ中に佇めば宇宙に一人坐する心地す

I feel cosmic solo / walking among the cosmoses / In full bloom like the Universe


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今日は雨が降ったり止んだりの一日だった。風は強かったが南よりの風で案外暖かく、雨が一段落している昼頃は、近所の空き地に咲くコスモスがきれいだった。

コスモス = 宇宙、秩序ある体系というぐらいで、私はコスモスの一面咲き乱れる光景をみると、宇宙の真っ只中にいるような気分になってしまう。こういうのをコズミックなフィーリングとでもいうのだろうか。

天気予報では 「降る降る」 というのだが、実際にはなかなか降らない。明日は午前中に少しぱらつくようなのだが、どちらかというと、風に気を付ける方がいいかもしれない。

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2011年10月14日

潔白の愛は或ひは足許の真白き花の形なるらむ

Innocent love is at your feet / In the shape of flowers / Such small and pure white


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道端には案外はっとするほどきれいな花が咲いている。園芸種の種が飛んで芽を出したりすることもあるが、大抵は個人や町内会、自治体がわざわざ植えていてくれるものだ。

取手駅近くの鉄道路線に沿って、ずっと二百メートルぐらい咲いているこの花は、タマスダレというのだそうだ。ヒガンバナ科で、球根で育つというから、多分誰かが植えていてくれるのだろう。

清楚で美しい花である。ちょっと調べてみたら、花言葉は 「期待、潔白な愛」 というのだそうだ。なるほど、なるほど。

た だ「タマスダレ」 という名前からは、私はどうしても 「さては南京玉簾」 という芸を連想してしまう。

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2011年10月13日

テーブルの蜜柑の蒼き宵の口LEDの真直ぐの光

Three green mandarins left / On the table / Reflecting straight LED light


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昨日、妻が山ほど買ってきたみかんが、今日の夜にはたったの三個になっていた。私はそんなにたくさん食べたような気がしないのだが、家族がまんべんなく食べてしまったのだろうか。

まだ青さが残るっているが、食べてみるとちゃんとみかんの味がしておいしい。

この写真を撮った直後、私が二個食べて、残りは一個になってしまった。

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2011年10月12日

僅かにも赤みを帯びて山肌は白き浮き雲支へゐたりき

Turning slightly reddish / Mountains lift white clouds / Up to the autumn sky


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今日は娘三人を連れて、酒田に日帰りドライブした。病床の父を見舞うためである。酒田に日帰りドライブしたのは、今月三日に続いて二度目。朝から晩までの十二時間の運転は、決して楽な仕事ではない。

途中の道は、木々はうっすらと色付いてはいたが、まだ本格的な紅葉には遠い。ただ、奥羽山脈と月山の、二度の山越えでは、山の上の方が紅くなっていた。空気はひんやりとして完全に秋の気配。

帰路は夕方五時を過ぎるとすっかり日が暮れて、秋の夜長である。山越えをする時には外気温は十二度ぐらいまで下がっていた。最低気温はかなり低くなることだろう。

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2011年10月11日

猫のゐぬ家にはただの風に揺るるゑのころぐさでしかなき草よ

Green bristle grass is nothing / But a weed in the wind / For us without cats


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今日は昨日よりも涼しくなって、秋らしい一日だった。

裏の川の土手に、ネコジャラシが群生している。我が家に猫が二匹いたころは、これを何本か引っこ抜いてきて、猫の鼻先でゆらゆらさせるのが楽しみだった。猫は目の前でゆらゆらするものには、反射的に反応してしまうようだ。

猫がいなくなってしまうと、これはネコジャラシというよりもエノコログサでしかない。

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2011年10月10日

黄昏をみて秋なりと思はるる日の多きこの年の幸い

We are happy this year / To have autumn feeling / In such calm twilights


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今日もちょっ蒸し暑かったが、まあ、秋である。去年の今頃はあまりの残暑に音を上げて、口を開けば 「秋はまだか」 とつぶやいていたのだから、今年はずっとましだ。

今年は 「秋だなあ」 と思う日が多い。こんな年は貴重である。これを逃したら、いつまたこんな年があるかわからない。じっくりと味わっておこう。

写真は、友人の歓送会から帰る時の黄昏風景。この景色も、間違いなく秋である。

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2011年10月 9日

徒らに塾して落つる柿の実の三日経ちても朽ちぬ赤さよ

Persimmon matured / And fell down in vain / But remains reddish for three days


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最近の日本人は、あまり柿を食べなくなってしまったんだろうか。近所に柿の木がかなりあり、柿の実も結構ついているのだが、それを収穫して食べているような形跡がない。

私の生まれた山形県の庄内地方では、庄内柿が名産で豊作すぎる年などはみんなでせっせと食べても食べきれないほど出回る。山形県の内陸では、秋になると民家の軒下に干し柿がずらりと並ぶ。

しかし関東のこの辺りでは、せっかくの柿の実を鳥のついばむにまかせている。あるいは、最近は鳥も少なくなってきたせいか、熟してそのまま落ちてしまうのもたくさんある。もったいない気がするなあ。

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2011年10月 8日

いかほどに直角なして交はれど理に落ちぬなり秋の夜のビル

It's not too logical / No matter how many right angles / Buildings show in autumn evening


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ええと、いつもは地の文を書いてから和歌の方を作るのだけれど、今日は何だかシュールな感じの歌の方が先にずずずっと出てきてしまって、地の文はどう書けばいいのか、自分でも戸惑ってしまっている。

とりあえず、写真は近所のスーパーなんだけれど、このスーパーは夜になると妙にシュールなおもむきになってしまうのである。

で、どういうことなの? と聞かれても困るので、今日のところはこれにて。

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2011年10月 7日

さざ波の川面に刻む陰影に秋のすべてのありとぞ見ゆる

All the factors of autumn / Are included in the ripples / On the surface of this stream


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静かな、しかし風の強い一日だった。裏の川には波が立って、薄を揺らしている。薄の揺らぎ方は昨日よりずっと激しい。川面にはさざ波以上の波が、はっきりした陰影を刻んでいる。

この陰影の中に秋のすべてがある。

それにしても、iPhone 4 の写真は結構きれいだなあと思う。さすが Apple の製品で、単なるスペック以上のよさがある。

ところで iPhone 4S の写真はもっときれいなのだそうだが、私は iPhone 5 になるまで機種変更はしない。iPhone 5 の写真はさらにきれいなっていることを期待しよう。

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2011年10月 6日

秋風に光る薄の軽ろければ揺らして楽し重たきことも

Pampas grass shining / In the autumn wind / Light enough to swing heavy factors


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今日は昼頃から日射しがあって、急に暖まった気がする。暖まったことは暖まったが、いずれにしても秋らしい天気だ。

今年は秋の訪れが早いのかと思っていたが、よく考えればこのくらいの季節の進行が、いわゆるフツーなのである。十月に入っても夏日が連続するという方がおかしいのだ。

我が家の裏の空き地で、ススキが風にたなびいている。これぞ秋である。

この秋らしい日に、スティーブ・ジョブズが逝った。世界は彼にありがとうを言わなければならないと思う。ちなみに、彼は仏教徒であったという。禅に傾倒していたらしい。彼のあの直観的な手法は、カウンター・カルチャーと禅との合わせ技だったのかもしれない。

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2011年10月 5日

野分遠く去りて残れる泥水の跡より下で遊ぶ白鷺

A white heron plays / Under the mud mark of the backwater / Caked by past typhoon


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今日は忙しくて写真を一枚も撮れなかったので、不本意ながら、これは昨日の昼前に撮った写真である。裏の川に白鷺が一羽降り立っている。

昨年の今頃はまだ残暑が厳しくて、「秋はまだか」 なんて言っていたのだが、もうすっかり秋の気配だ。朝晩は冷え込んで、セーターを着てマフラーを巻いたりしている。

川の水量もすっかり秋の様相で、川底が露出しかけている。向こう岸の堤防の途中まで、茶色の泥がこびりついているが、あれは先日の台風で水量が一時的に増えたときのもの。あそこまで水面が一挙にあがり、また一挙に下がった。

このくらい浅くならないと、白鷺はこの川には降りて来れない。

それにしても、こんな光景をながめていると、半年前の震災の津波被害を連想してしまう。津波はあんなものじゃなかったのだ。震災はまだ、心の傷として残っている。

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2011年10月 4日

根の下に何を眠らせかくも紅く曼珠沙華咲く彼岸過ぎ来て

What does cluster-amaryllis keep / Under its root / To come out in so reddish


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彼岸が過ぎて、いよいよ涼しくなってきた。今年は秋の訪れが早いようだ。いや、それどころか北海道や東北で、平年よりかなり早い初雪や初冠雪が記録されている。

昨夜、酒田から帰ってくるときも、月山越えの外気温は七度と表示されていた。もう少し冷えたら、雨が雪に変わっても不思議ではない。

我が家の裏手を流れる川の土手に、真っ赤な色の彼岸花が咲いている。彼岸頃に咲いたと思われる第一弾は花が散って、まっすぐの茎だけが残っている。

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病床の父にあの世の母来たり寄り添うごとき二重の虹よ

Double rainbow / As if mother came from the great beyond / To look after father sick in bed


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今日は病床の父の見舞いのため、妻と一緒に酒田に車で日帰りした。往復十三時間、約一千キロの運転である。さすがに疲れた。

酒田に着く直前、高速道路から二重の虹が見えた。二重の虹なんて、生まれて初めて見た。

運転士ながら、iPhone のカメラで適当に撮ってみたのだが、なんとか撮れていたのがこの写真である。

勝手な想像だが、病床の父にあの世の母が寄り添ってくれているように見えた。

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2011年10月 2日

平らなる川面に映る雲の色の暮れてゆくなり平らなるまま

On the still surface of the river / Twilight clouds are getting dark / And remain still


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穏やかな日曜の黄昏時。川は平らかで鏡のように空の雲を映している。

秋はなんだかしらないが、ありがたさを感じさせる季節である。稔りの季節だからかもしれない。

明日は妻と朝から酒田に行き、日帰りの予定。妻が父に一目会っておきたいというので。

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2011年10月 1日

秋なれば燃ゆる赤にはなかりせど明日の好き日を見する夕焼け

Though not so gorgeous / The evening glory in autumn shows / Good tomorrows


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朝方はまだ昨日の蒸し暑さの名残があったが、昼頃にはすっかり秋の空気に入れ替わり、肌寒いほどになった。さすがに今日から十月という気にさせられた。

去年や一昨年は、十月半ばを過ぎても 「秋はまだか」 なんて言っていたが、今年はもうすっかり秋である。

写真はつくばの夕焼け。燃えるような夕焼けではなく、申し訳程度の、秋の夕焼けである。

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