« 夕立の通り過ぎたるひたち野にロックの音と花火は響く | トップページ | 見渡せば雲湧き上がりその下の暗めるところ雨の降るらむ »
我が家の裏の空き地に咲く紫陽花は、車輪梅の木陰で、散らぬままにドライフラワーになっていく。
散らないということは、老いをさらすことであり、考え物でもあるが、紫陽花の場合は茶色に乾き果てても、なんとなく風情がある。
2013年8月 4日 夏の歌 | 固定リンク Tweet
名前:
メールアドレス: (ウェブ上には掲載しません)
アドレス(URL):
この情報を登録する
内容:
この記事へのトラックバック一覧です: 散ることを知らず真夏の紫陽花は咲きゐしままの姿で乾く:
コメント