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2014年1月 4日

青空と冬の刈田の境界に人の暮らしを望む正月


Img_7794冬の刈田の広がる彼方には青空があり、その境界線上に宅地が僅かに見える。私はどういうわけか、こういう地面あるいは海と、空の間の線状に何かが見えるという景色に惹かれてしまう。

子供の頃から、田んぼの彼方の青空の境目の山々とか、海と空との間に伸びる陸地とか、そんなような景色を眺めて育ったからかもしれない。

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コメント

故郷鶴岡賛歌


     故郷鶴岡賛歌
○武士(もののふ)の筋を貫く志今も伝はる誇りあるまち
○羽(う)の国の三山(みやま)の水に潤され瑞穂みのれる豊かなるまち
○哀しみも包む心にほぐされて歌声響く雪の降るまち
○緑なす千歳の岡に春風の命育む故郷のまち

 戊辰戦争において、庄内藩は最後まで佐幕を貫いて降伏しませんでした。利に走らず、義を貫くことは、庄内武士の誇りであり、また意地でもあったと思います。この誇りを今も受け継ぐ者でありたいと、常に自らに言い聞かせています。また庄内平野は、信仰の山である出羽三山の水に潤される米所であります。「み」の音を響かせているのは、現代短歌ではつまらぬ技巧と貶されるでしょうが、歌は本来声に出して音で聞くものと思っていますので、非難を承知で敢えて音を揃えてみました。鶴岡は唱歌「雪の降る町を」発祥の地で、毎年市をあげて合唱祭が行われています。庄内人の特質は人情の温かさにあると思いますが、それを「雪の降る町を」の歌詞を活かしながら表してみました。「千歳の岡」は「鶴は千年、亀は万年」からの連想で、「鶴岡」を意味する私の造語です。雪国の人々が春を迎えた喜びを表現してみました。

投稿: mahyan | 2014年1月11日 16時15分

mahyan さん:

さすが、鶴岡の人ですね。

酒田の私はもうちょっとジャラジャラしちゃってますが、十分に共感できます。

投稿: tak | 2014年1月24日 23時01分

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