« 夕暮れの蝉の声するその奥で微かに鳴るか遠雷の音 | トップページ | 南より帰り来たりて振り向けばおぼろなれども望月浮かぶ »
我が家の裏手の空き地に咲いていたアジサイが、しぶとく生き残っている。生き残っているというか、ほとんどひからびてしまってはいるのだが、ほんの少し瑞々しい片鱗が残っている。
人間でいえば、「昔はさぞ綺麗だったろう」 と思わせるしわくちゃのおばあさんという風情だ。これはこれで、なかなか趣のあるものである。
2015年7月29日 夏の歌 | 固定リンク Tweet
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