輝けど高く登らぬ日の下でにどさくさ紛れの冬は来にけり
高村光太郎の時代の冬は「きっぱりと」来るもの(参照)で、私の若い頃まではそのきっぱりさ加減が維持されていたように思うのだが、最近の冬は「どさくさ紛れ」で来るようになった。
先月の今頃まで「真夏日」があり、今月になっても何度か「夏日」が記録されたが、今日は「どんなもんだ!」と言わんばかりの寒さである。暑いか寒いかの両極端で、秋という季節の存在感は、すっかり薄れてしまった。
今日の写真を見ても、太陽は照っているものの冬の寂寥感ばかりが浮かび上がる。
| 固定リンク
コメント