桃の実の昭和の味のマッチ箱に娑婆の思惑詰まるとぞ知る
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
Even in such a disaster / You made a smile / Yes, you can call me a friend
一年に一度か二度、潮来に行く用事が発生する。潮来は我が家から車で一時間半ぐらいである。いつもは楽しみにしているのだが、今回は気が重かった。
潮来は今回の震災で、茨城県の中でも最も被害の大きなところだ。とくに日の出地区は地盤が液状化し、見るも無惨な姿になっていた。県北地区よりもずっと被害が大きい。
写真の家の塀に沿った斜めの石垣のように見えるのは、元は水平だった舗道の敷石である。道路部分が激しく陥没したため、舗道の道路側が落ち、家側が跳ね上がった。道路の陥没によって、電柱も斜めになってしまっている。倒れていないのが不思議なくらいだ。
家々の多くも、見ればすぐわかる傾き方である。廊下に鉛筆を置いたらすぐに転がるそうだ。水道はまだ復旧しておらず、四月一杯は無理だろうと言われている。
潮来より鹿島灘に近い神栖市では、港に置かれた百四十ものコンテナが津波で流され、あれから三週間経った今でも、市街のあちこちに無惨に取り残されていた。鹿島神宮の大鳥居は倒れ、道路は至る所、地割れ、陥没で通行止めになったままだ。
土木建築業を営む知人はあれから大忙しで寝ておらず、疲労で倒れそうだという。商売繁盛なのかと思うとそこが微妙なところで、大急ぎで瓦礫の撤去や家屋の補修をしても、請求した金額が実際にいつ入ってくるのか見当が付かない。入金がままならなければ、運転資金がおかしくなる。
地震の爪痕をいやというほど見せつけられた。それでも我々は、心のつながりをフル稼働させて乗り越えなければならない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Friends of mine couldn't stop talking / To me visited unexpectedly / After the earthquake
今日は所用で水戸に行ったついでに、少し足を伸ばして県北の日立市、高萩市などに住む知人を訪ねた。地震見舞いである。
茨城県北部の地震被害はかなりのものだったが、私の知人に関する限りは大きな被害はなく、棚の食器や本が落ちて散乱した以外は、せいぜい屋根瓦が落ちた程度で済んだようで、安心した。
とはいえ、断水の時期は長いところでは二週間にも及んだようで、水の確保にかなりの体力を使ったようだ。さらに、余震はまだ収まっておらず、原発の驚異もあるので、私が顔を出したことを大変喜んでくれた。根本的解決にはならなくても、心を開いて話のできる人間と会うのは、ストレス解消には役立つ。
写真は日立市の河原子海岸にある漁港でみた光景。津波のために漁船が岩場の上に打ち上げられて、乗っかったままになってしまっている。この辺りの津波は海岸の防波堤を越え、道路を隔てた住宅にまで押し寄せたようだ。今でもかなりのダメージが残っていた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Twitter で私がフォローしている中では一番年が若いんじゃあるまいかと思うのだが、釘 (@kugi_niji) さんという女性がいる。
彼女が今日の夕方、「梅雨に枝垂れる 眼が濡れる 頭の先から藤の雨」 という短詩を tweet していたのにインスパイアされて、「ぬしと見上げる藤棚越しの雨ぢや涙のはずがない」 という都々逸を返したら、結構喜んでくれた。
相聞歌の極端に少ない私だが、時にはこのぐらいの艶っぽい都々逸を作るのである。
で、今日はいっそのことこれで行こうかと、一瞬思ってしまったが、やっぱり三十一文字のサイトに都々逸では具合が悪いので、少しアレンジしてみた。
ま、なんというか、妻に 「一緒に暮らそう」 と言った時のことを思い出して詠んでみたわけである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
足許に吸い殻捨つる者と掃除する者とは互ひに目を合はさざりき
このサイトの写真は風景とか花とかが多いのだが、今日はめずらしく人物。もうちょっと引いて、風景として撮った方がよかったかもしれないと、ちょっと反省している。
朝の JR 常磐線取手駅前の光景。かなり年配の男性が、ベンチに座ってうつむいている。そこに清掃係のおばさんが近寄って、男性の周囲に散乱した空き缶や吸い殻を拾い集めている。
男性は周囲に対する関心をまったく失った者のように、まったく動かない。おばさんもさりげなさく、ひょいひょいとゴミを集める。お互いがお互いをちょっとだけ邪魔に感じつつも、存在を認め合っていない。いない者同士のごとくに振る舞っている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
祖父の句の夜々にきしめる砂利舟の音をいかにせば今に聞かるる
今日は一日中仕事で外出していて、写真を撮っている暇もなかった。帰宅したときにはとっぷり日が暮れていたので、外の景色は撮影不能。
それで、先日から気にかかっていた写真を載せることにした。『唯一郎句集』 に載っている直筆原稿の写しである。
唯一郎は、私の母の実父。つまり、私の祖父である。最近、"Today's Crack" で、この句集のレビューを開始している (参照)。
この直筆の句は、次の四句。いずれも秋の頃の歌だが。
馬のいばりする明るう枯れた林
しら菊葩の陽色を巻いてゆらぎもせず
秋口のくらしよ砂利舟きしみ過ぎる
むら肝冷ゆるに目の前鶏頭立ちて赤し
三句目は、「きしみ過ぎる夜々」 となっているが、最後の 「夜々」 がスミで消されている。なるほど、「きしみ過ぎる」 で終わる方が歯切れがいい。
直筆は女の字かと思うような、やさしい筆跡である。
How can I image the creaking sound
Of gravel boat passed away in Autumn night
Grand father used to hear all around
And sang it in his haiku so close and tight
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この国は君の国にして我が国となぜ歌はぬかこの国の人ら
今日は朝から仕事で出かけ、写真なんて撮っている暇もなく日が暮れてから帰宅したら、Wow Wow (だったと思うんだけど、私はテレビに疎いので、よくわからない) で、バラック・オバマの大統領就任記念コンサートの模様が流れていた。
ちょうど私が帰宅した時、ブルース・スプリングスティーンが、なんと、あのピート・シーガーを呼んでいる。まさかと思ったのだが、ひげを生やしてすごいじいさんになったピート・シーガーが、しかし、かくしゃくとした足取りで登場した。
そして、あの "This Land is Your Land" のシング・アウトになったのである。私は背筋がゾクゾクするほど感動して、思い切り一緒に歌ってしまったのだった。涙が流れそうだった。そして、またギターを弾きたくなってしまったのだった。
写真は私のギターである。近頃は、私が弾くより次女が弾いている時間の方がずっと長いのだが。
ちなみに、このコンサートで歌われた "This Land is Your Land" は、よく知られたバージョンの歌詞とは少し違っていた。ウッディ・ガスリーのオリジナル・バージョンだったのだ。それに関しては、明日付の "Today's Crack" で書こうと思う。
I saw people in America sing to assert
This Land is Your Land, This Land is My Land
In the President Inauguration Concert
Why don't we sing so hand in hand?
[追記]
約束通り、ウッディのオリジナル・バージョンにからめた話を書いたので、こちら をどうぞ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
亡き人の絵はことごとく今もなほ生きてゐるなり熱き息して
夜明け前にかなり強い雨が降って、朝になっても分厚い雲が立ちこめていたが、ラジオの天気予報は 「春の陽気になる」 と伝えていた。
本当かなあと思っていたが、十時をすぎると急に雲が切れて眩しい太陽が照り始めた。さすがに、最近の天気予報はその日のうちのことならよく当たる。
そして、「ただし暖かいのは日中だけで、日が暮れると気温は急降下」 という予報も、なんだか当たってしまいそうな雲行きだ。
日が暮れてから、妻と知り合いの画家の遺作展に行ってきた。写真に映っているのは、本邦初公開、私の妻の後ろ姿である。ボケボケなのは決して意識したわけではなく、デジカメのバッテリーが切れて、仕方なくケータイで写したためである。
美術家の遺作展というのは、いつもある時代を強烈に思い出させる。メランコリックだが、実はまだ生きて呼吸しているようなところがある。
We are in at an artist's death
Watching her works still alive
All of them draw deep breath
To let our memories shine and revive
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント